出されたような形で、幾らかの路用《ろよう》を貰って江戸へ帰って参りました。
故郷の浅草へ帰りましたのは、八月十六日の晩で、それから真っ直ぐに家へ帰ればよかったのですが、なんだか閾《しきい》が高いので、ともかくもその後の様子を訊いてみようと思いまして、金龍山下の延津弥の家へこっそり尋ねて行きますと、師匠はよく帰って来てくれたと喜んで、すぐに二階へあげて泊めてくれました。そうして、四、五日厄介になっているうちに、延津弥が申しますには、わたしも中田屋の旦那に死に別れて心細い。どうぞこれからは力になってくれと口説かれまして……。まあ、夫婦のような事になってしまいましたが、延津弥はわたくしを家へ帰しません。
そのうちに判りましたのは、延津弥がわたくしのお袋をだまして、三十両ほどの金を巻き上げている事で……。延津弥はおふくろにむかって、こんなことを言っていたそうでございます。中田屋の旦那を毒害したなぞは、まったく覚えのないことだが、実は千生さんと私とは前々から深く言いかわしている。中田屋の一件とは別口《べつくち》で、千生さんは少し筋の悪いことがあって、当分は身を隠していなければならない。その隠れ家《が》は知れているが、今すぐに逢わせるわけには行かない。千生さんも小遣いに不自由しているようだから、金はわたしから届けてあげる。こう言って最初におふくろから十両の金を受取りまして、それから五十日のあいだに三両五両と四、五たびも引出しましたそうで……。それは延津弥が自分の口から話したのですから嘘ではございますまい。
わたくしもそれを知って、どうもひどい事をすると思いましたが、なにしろ延津弥とは夫婦同様になってしまったのですから、今さら開き直って女を責めるわけにも参りません。八月二十一日の晩に延津弥は日本橋の方へ行くといって家を出まして、四つを過ぎても帰りません。どうしたのかと案じていますと、九つ(十二時)を過ぎてようよう帰って来ました。わたくしは外へ出ませんので、世間の噂を聞きませんでしたが、おふくろはその晩、小梅で殺されたのでした。わたくしが初めてそれを知ったのは二十三日の午頃で、その翌日が千鳥から葬式の出る日でございます。延津弥はわたくしに向って、もう隠れている場合ではない、早く帰ってお葬式の施主に立てと申しますので、わたくしも思い切って帰りますと、直ぐに御用になったのでござい
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