茶屋も軒には新《あたらし》い花暖簾《はなのれん》をかけて、さるや[#「さるや」に傍点]とか菊岡とか梅林《ばいりん》とかいう家号を筆太に記るした提灯《ちょうちん》がかけつらねてある。劇場の木戸まえには座主や俳優に贈られた色々の幟《のぼり》が文字通りに林立している。その幟のあいだから幾枚の絵看板が見えがくれに仰がれて、木戸の前、茶屋のまえには、幟とおなじ種類の積物《つみもの》が往来へはみ出すように積み飾られている。
ここを新富町だの、新富座だのというものはない。一般に島原とか、島原の芝居とか呼んでいた。明治の初年、ここに新島原の遊廓が一時栄えた歴史を有《も》っているので、東京の人はその後も島原の名を忘れなかったのである。
築地の川は今よりも青くながれている。高い建物のすくない町のうえに紺青の空が大きく澄んで、秋の雲がその白いかげをゆらゆらと浮べている。河岸の柳は秋風にかるくなびいて、そこには釣《つり》をしている人もある。その人は俳優の配りものらしい浴衣《ゆかた》を着て、日よけの頬かむりをして粋な莨入《たばこい》れを腰にさげている。そこには笛をふいている飴屋もある。その飴屋の小さい屋台店
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