らば、たといそれがやはり一場の過去の夢にすぎないとしても、私はその夢の世界を明《あきら》かに語ることが出来る。老いさらばえた母をみて、おれはかつてこの母の乳を飲んだのかと怪しく思うようなことがあっても、その昔の乳の味はやはり忘れ得ないとおなじように、移り変った現在の歌舞伎の世界をみていながらも、わたしはやはり昔の歌舞伎の夢から醒め得ないのである。母の乳のぬくみを忘れ得ないのである。
その夢はいろいろの姿でわたしの眼の前に展開される。
劇場は日本一の新富座、グラント将軍が見物したという新富座、はじめて瓦斯灯を用いたという新富座、はじめて夜芝居を興行したという新富座、桟敷《さじき》五人詰一間の値四円五十銭で世間をおどろかした新富座――その劇場のまえに、十二、三歳の少年のすがたが見出される。少年は父と姉とに連れられている。かれらは紙捻《こよ》りでこしらえた太い鼻緒の草履《ぞうり》をはいている。
劇場の両側には六、七軒の芝居茶屋がならんでいる。そのあいだには芝居みやげの菓子や、辻占《つじうら》せんべいや、花かんざしなどを売る店もまじっている。向う側にも七、八軒の茶屋がならんでいる。どの茶屋も軒には新《あたらし》い花暖簾《はなのれん》をかけて、さるや[#「さるや」に傍点]とか菊岡とか梅林《ばいりん》とかいう家号を筆太に記るした提灯《ちょうちん》がかけつらねてある。劇場の木戸まえには座主や俳優に贈られた色々の幟《のぼり》が文字通りに林立している。その幟のあいだから幾枚の絵看板が見えがくれに仰がれて、木戸の前、茶屋のまえには、幟とおなじ種類の積物《つみもの》が往来へはみ出すように積み飾られている。
ここを新富町だの、新富座だのというものはない。一般に島原とか、島原の芝居とか呼んでいた。明治の初年、ここに新島原の遊廓が一時栄えた歴史を有《も》っているので、東京の人はその後も島原の名を忘れなかったのである。
築地の川は今よりも青くながれている。高い建物のすくない町のうえに紺青の空が大きく澄んで、秋の雲がその白いかげをゆらゆらと浮べている。河岸の柳は秋風にかるくなびいて、そこには釣《つり》をしている人もある。その人は俳優の配りものらしい浴衣《ゆかた》を着て、日よけの頬かむりをして粋な莨入《たばこい》れを腰にさげている。そこには笛をふいている飴屋もある。その飴屋の小さい屋台店
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