いますと、かのよい辰が会津屋へ押掛けて行ったことが岡っ引の耳にはいりまして、よい辰を詮議の結果、叔父が善兵衛の蜘蛛を譲ってもらったということが判りまして、それから善兵衛を呼出して調べると、最初はシラを切っていましたが、家探しをすると二階の押入れにはお由が監禁されている。それやこれやでさすがに包みおおせず、とうとう白状に及んだということでございます。姉のお定は三五郎という山女衒《やまぜげん》――やはり判人《はんにん》で、主に地方の貸座敷へ娼妓《しょうぎ》を売込む周旋をするのだとか申します。――の手へわたして、近いうちに八王子の方へやるつもりであったそうで、もう少しのところであぶないことでございました。
 これで、このお話もまずお仕舞いでございます。――まだ判らないことがあると仰しゃるのでございますか。はあ、成る程。お稽古の帰り道で、お定がわたくしに「およっちゃんと仲よくして頂戴」と言ったこと。――あれは後にお定に聞きますと、別になんでもないことでした。その日、裁縫のお師匠さんのところで、わたくしが間違ってお由の鋏《はさみ》を使ったというので、ひと言ふた言いい合いました。もとより根も葉もないことで、そのままに済んでしまったのですが、お定は年上でもあり、ふだんからおとなしい質《たち》の娘ですから、自分の妹とわたくしとが少しばかり角目立《つのめだ》ったのを気にかけて、帰るときにわざわざそんなことを言ったのだそうです。わたくしは年がゆかず、この通りのぼんやり者ですから、鋏の一件なんぞはとうに忘れてしまって、お定がなぜそんなことを言ったのかと、ただ不思議に思っていたのでございます。物の間違いはこんな詰まらないことから起るのでございましょう。お由がわたくしの兄のことに就いて、自分の姉を疑っていたのはどういうわけかよく判りませんが、それはお由の生れつきで、嫉妬ぶかい質《たち》の女であったらしいのです。その証拠には、後に兄と結婚しましてからも、とかくに嫉妬深いので、兄もずいぶん持て余していたようでございました。
 お定は婿を貰いましたが、産後の肥立ちが悪くて早死にを致しました。兄の夫婦ももうこの世にはおりません。生き残っているものはわたくしだけでございますが、その当時の悲しい恐ろしい思い出が今も頭にありありと刻《きざ》まれていますので、忰や孫たちにもやかましく申聞かせまして、ほかの道楽はともあれ、勝負事だけは決してさせない事にいたしております。
 余談でございますが、この蜘蛛についてはまだお話があります。
 かのお春の旦那で、近江屋という質屋の亭主もやはり気違いのようになりました。それはある日のこと、蜘蛛を入れて置く印籠筒の蓋がゆるんでいたのでしょう、蜘蛛が畳の上に這い出していたのを、女中の一人がうっかり踏みつけて殺してしまったのでございます。さあ、大変。亭主は烈火のように怒りまして、その女中をきびしく叱った上に打《ぶ》ったり蹴ったりしたとかいうので、女中はくやしいと思ったのか、申訳がないと思ったのか、裏の井戸へ身をなげて死にました。そうなると、亭主もさすがに後悔したのでしょう、その後はなんだか気が変になりまして、夜も昼もその女中のすがたが自分の眼の前にあらわれるとか言って狂い出して、仕舞いには自分もおなじ井戸へ身を投げたという噂を聞きました。
 会津屋といい、善兵衛といい、お春といい、近江屋といい、皆それぞれの変死を遂げたのは、きっと蜘蛛のたたりに相違ないと、世間ではその頃もっぱら言い触らしたそうでございます。蜘蛛の祟《たた》りかどうだか判りませんが、ともかくもみんなが蜘蛛の夢を見ていたのは事実でございましょう。まったく怖ろしい夢でございました。



底本:「蜘蛛の夢」光文社文庫、光文社
   1990(平成2)年4月20日初版1刷発行
初出:「文藝倶楽部」
   1927(昭和2)年9月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:花田泰治郎
2006年5月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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