たそうです。親父のよい辰も半身不随のくせに、やはり勝負をしていたのでございます。いつの代もおなじことで、こんなことに耽《ふけ》っていれば結局碌なことにはなりません。
わたくしにはよく判りませんが、蜘蛛というものは非常に残忍な動物で、同類相噛むと申します。その性質を利用して勝負を争うのですから、碁や将棋や花合せとは違いまして、自分の上手下手というよりも、虫の強い弱いということが大切でございます。それですから、咬み合いに用いる蜘蛛はなかなかその値が高かったと申します。そのなかでも袋蜘蛛がよいという事になっていたそうでございます。御承知の通り、袋蜘蛛は地のなかに棲んでいまして、袋のなかにたくさんの子を入れているのでございます。
勝負事ですから、勝ったり負けたりするのでございましょうが、叔父は近ごろ運が悪くて、しきりに負けが続きました。負ければ負けるほど熱くなるのが勝負事のならいで、叔父はいよいよ夢中になって家の金をつかみ出しているうちに、手元がだんだん苦しくなって来ました。伯母には内密で諸方《しょほう》に借金が出来ました。まだその上に、お春親子にも三、四十両の借金が出来ました。お春の借りは勝負の上の借りですから、表立ってどうこうと言うわけにはいかない性質のものですが、その方《かた》を付けて置かないとお春の家へ出這入《ではい》りが仕にくいことになります。ことに七月の盆前にさしかかっているので、お春の方でも催促します。そこで、叔父は一時のがれの気やすめに、自分は石切横町に一軒の家作《かさく》を持っているから、もし盆前までに返金が出来なかったらば、それをおまえの方へ引渡すといって、念のためにお春を連れ出したのでございます。苦しまぎれとはいいながら、叔父も随分ひどい人で、お春をわたくしの家の前へ連れて来て、これがおれの家作だと教えたのだそうです。
お春はそれで一旦|得心《とくしん》したのですが、家へ帰って親父に話すと、親父はよい辰ですから迂濶にその手に乗りません。よその家を人にみせて、これがおれの家作だなぞというのは、昔からよくある手だから油断は出来ない。念のためにもう一度その家をたずねて行って、たしかに会津屋の家作であるかないかを確かめて来いと言いましたので、お春も成る程と思って、あくる日の午《ひる》すぎにまた出直して来ると、あいにくにあの夕立で……。その後のことは死人に口なしでよく判りませんが、わたくしの横町へはいって、大きい銀杏の下に雨やどりをしているうちに、運わるく雷が落ちて来たらしいのです。前後の事情を考えると、どうしてもこう判断するよりほかはありません。よい辰が利かないからだを駕籠にのせて、会津屋へ呶鳴り込んで来たのも、それがためです。
お春のことはまずそれとしまして、これからは叔父と娘ふたりの身の上でございますが、まったく勝負事にのぼせるというのは怖ろしいもので、叔父はもう夢中になってしまって、親子の情愛も忘れたらしいのでございます。勿論、盆前《ぼんまえ》にさしかかって諸方の借金に責められるという苦しい事情もあったのでしょうが、叔父は、ここで、どうしても勝ちたい、勝たなければならないと思ったらしいのです。それには前にも申す通り、どうしても強い虫を手に入れなければなりません。よい辰のところへ勝負に来る仲間はなんでも十人ほどありまして、その中で大木戸に住んでいる相模屋という煙草屋の亭主の持っている虫はたいそう強いので、叔父はしきりにそれを羨ましがって、どうか一匹譲ってくれないかと頼みますと、相模屋の亭主――名は善兵衛というのでございます。――はなかなか承知しませんで、これはみんな大事の虫だからめったに譲ることは出来ないと断りました。叔父はもう逆上《のぼ》せていますから、譲ってくれればどんな礼でもするという。それでも善兵衛は容易に承知しないでさんざん焦《じ》らした挙げ句に、おまえの娘をくれるならば譲ってやると言い出したのでございます。ずいぶん乱暴な話ですけれども、半気違いの叔父は、むむ、よろしいと承知してしまいました。
しかしほかの事と違いますから、叔母に打明けるわけには参りません。いえば、不承知は判り切っています。不承知どころか、どんな騒ぎになるか判りません。そこで、叔父はそっと自分の家の近所へ忍んで来て、姉娘が外へ出るのを待っていますと、お定が糸を買いに出て来ましたので、ちょいとそこまで一緒に来てくれといって連れて行きました。お定も自分の親のいうことですから、なんの気もつかずに一緒に付いて行くと、叔父はむすめを大木戸の相模屋へ連れ込んで、いい加減にだまして二階へ押上げてしまいました。こうなると、お定ももう十七、八ですから、なんだかおかしく思って、早く家へ帰りたいと言い出しますと、叔父はここで一切《いっさい》の事情を打明
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