井神の真向に礑《はた》と中《あた》ったから堪らない、眉間は裂けて鮮血《なまち》が颯《さっ》と迸出《ほとばし》る。この不意撃に一同も総立となって、井神は屈せず鉄砲を放ったが、空砲《からづつ》とは云いながら何の効目《ききめ》もなく、石はますます降るという始末に、何《いず》れも殆ど匙を投げて、どうにもこうにも手の着様《つけよう》がない。何しろ、これまで曾《かつ》て人を傷つけたことの無いこの石が、鉄砲を持出すと直ちにその人を撲《う》つというのは如何にも奇怪で、何でも怪しの物が潜んでいるに相違ないと、更に家《や》探しに取かかって、座敷内は云うに及ばず、天井裏まで取調べたけれども、更にこれぞと云う手懸《てがかり》もなく、また庭の内には狐狸の住家らしい穴も見当らぬので、ただ不思議不思議と云い暮して日を経る中に、ある者の説に曰く、昔からの伝説《いいつたえ》に、池袋村(北豊島郡)の女を下女に雇うと、不思議にもその家に種々の怪異《あやしみ》がある。これは池袋の神が我が氏子を他へ遣るのを厭《いと》って、かかる祟《たたり》を為《な》すのだと云う、で、今度の不思議も或はその祟ではあるまいか、念の為にこの邸の下女を調べて見たらば可《よ》かろうとの事。成ほど、そんな事があるかも知れぬと、侍女《こしもと》下女を一々取調べた所が、果してその中に池袋生れの者があったので、当人の知った事ではあるまいが、兎も角もこれに長の暇《いとま》を出して、さてどうであろうとその後の模様を窺うと、石は相変らず降る。エエ何の事だ、池袋も的《あて》にはならぬと愚痴を飜《こぼ》していると、それから二日経ち、三日経つ中に、石は次第に数が減って、五六日の後には一個も降らぬようになったのも不思議、しかもその後には何の怪異《あやしみ》もなかったことはいよいよ不思議。で、右の怪異は全く池袋の祟と一決して、一同もホッと息を吐いたと云う。
 以上は紛れもなき事実で、現在これを目撃した人の談話《はなし》をそのまま筆記したものである、しかしそれが果して池袋の祟であるや否やは勿論保証の限《かぎり》でない。今日でも北豊島に池袋村という村は存在しているが、当時は曾てそんな噂を聞かぬ。けれども、江戸時代には専らそんな説が伝えられたのは事実で、これに類似の奇談が往々ある。で、名奉行と聞えた根岸肥前守の随筆「耳袋」の中にも「池尻村とて東武の南、池上本門寺より程近き一村あり、彼《かの》村出生の女を召仕えば果して妖怪などありしと申し伝えたり、実否を知らず」と記《しる》してある。シテ見ると、池尻の者にもそんな伝説があるか知らぬが、これは余り聞き及ばぬ事で、恐らく筆者の肥前守が池袋を池尻と聞き誤ったのではあるまいか。しかし北豊島と池上では、北と南で全然方角が違うから、或は実際別物かも知れぬ。兎にかく江戸時代には池袋の奉公人を嫌うとは不思議で、何か一家に怪しい事があれば、先ず狐《きつね》狸《たぬき》の所為《しわざ》といい、次には池袋と云うのが紋切形の文句であった。又一説には、単に奉公人として召仕う分には仔細ないが、万一これと情を通ずる者があると、それから種々の怪異を見るのだとも云う。何方《どっち》にしても、その原因や理由の解《わか》ろう筈はなく、当時ではかかる噂も全く絶えて了ったようだ。
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(『文藝倶楽部』02[#「02」は縦中横]年4月号)
*〈日本妖怪実譚〉(記者)より。筆名は「不語堂」使用。
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底本:「文藝別冊[総特集]岡本綺堂」河出書房新社
   2004(平成16)年1月30日発行
初出:「文藝倶楽部」
   1902(明治35)年4月号
入力:hongming
校正:noriko saito
2004年7月15日作成
2004年8月14日修正
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