停車場の少女
岡本綺堂
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)思召《おぼしめ》す
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)紡績|飛白《がすり》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]として
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「こんなことを申しますと、なんだか嘘らしいように思召《おぼしめ》すかも知れませんが、これはほんとうの事で、わたくしが現在出会ったのでございますから、どうかその思召しでお聞きください。」
Mの奥さんはこういう前置きをして、次の話をはじめた。奥さんはもう三人の子持ちで、その話は奥さんがまだ女学校時代の若い頃の出来事だそうである。
まったくあの頃はまだ若うございました。今考えますと、よくあんなお転婆《てんば》が出来たものだと、自分ながら呆れ返るくらいでございます。しかしまた考えて見ますと、今ではこんなお転婆も出来ず、またそんな元気もないのが、なんだか寂しいようにも思われます。そのお転婆の若い盛りに、あとにも先にもたった一度、わたくしは不思議なことに出逢いました。そればかりは今でも判りません。勿論、わたくし共《ども》のような頭の古いものには不思議のように思われましても、今の若い方たちには立派に解釈がついていらっしゃるかも知れません。したがって「あり得《う》べからざる事」などという不思議な出来事ではないかも知れませんが、前にも申上げました通り、わたくし自身が現在立会ったのでございますから、嘘や作り話でないことだけは、確かにお受け合い申します。
日露戦争が済んでから間もない頃でございました。水沢さんの継子さんが、金曜日の晩にわたくしの宅へおいでになりまして、あさっての日曜日に湯河原へ行かないかと誘って下すったのでございます。継子さんのお兄さんは陸軍中尉で、奉天の戦いで負傷して、しばらく野戦病院にはいっていたのですが、それから内地へ後送されて、やはりしばらく入院していましたが、それでも負傷はすっかり癒って二月のはじめ頃から湯河原へ転地しているので、学校の試験休みのあいだに一度お見舞に行きたいと、継子さんはかねがね言っていたのですが、いよいよあさっての日曜日に、それを実行することになって、ふだんから仲のいいわたくしを誘って下すったというわけでございます。とても日帰りというわけにはいきませんの
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