ました。――それが何だかわたくしの顔をぢつ[#「ぢつ」に傍点]と見てゐるらしいのです。その娘がわたくしに声をかけたらしくも思はれるのです。
「継子さんが歿《なく》なつたのですか。」
殆《ほとん》ど無意識に、わたくしは其《その》娘に訊《き》きかへしますと、娘は黙つて首肯《うなず》いたやうに見えました。そのうちに、あとから来る人に押されて、わたくしは改札口を通り抜けてしまひましたが、あまり不思議なので、もう一度その娘に訊き返さうと思つて見返りましたが、どこへ行つたか其姿が見えません。わたくしと列んでゐたのですから、相前後して改札口を出た筈《はず》ですが、そこらに其姿が見えないのでございます。引返《ひっかえ》して構内を覗《のぞ》きましたが、矢はりそれらしい人は見付からないので、わたくしは夢のやうな心持がして、しきりに其処《そこ》らを見廻しましたが、あとにも先にも其娘は見えませんでした。どうしたのでせう、どこへ消えてしまつたのでせう。わたくしは立停《たちどま》つてぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]と考へてゐました。
第一に気にかゝるのは継子さんのことです。今別れて来たばかりの継子さんが死ぬなどといふ筈がありません。けれども、わたくしの耳には一度ならず、二度までも確《たしか》にさう聞えたのです。怪しい娘がわたくしに教へてくれたやうに思はれるのです。気の迷ひかも知れないと打消しながらも、わたくしは妙にそれが気にかゝつてならないので、いつまでも夢のやうな心持でそこに突つ立つてゐました。これから湯河原へ引返して見ようかとも思ひました。それもなんだか馬鹿《ばか》らしいやうにも思ひました。このまゝ真直《まっすぐ》に東京へ帰らうか、それとも湯河原へ引返さうかと、わたくしは色々にかんがへてゐましたが、どう考へてもそんなことの有様《ありよう》は無いやうに思はれました。お天気の好い真昼間《まっぴるま》、しかも停車場の混雑のなかで、怪しい娘が継子さんの死を知らせてくれる――そんなことのあるべき筈が無いと思はれましたので、わたくしは思ひ切つて東京へ帰ることに決めました。
その中《うち》に東京行の列車が着きましたので、ほかの人達はみんな乗込みました。わたくしも乗らうとして又|俄《にわか》に躊躇《ちゅうちょ》しました。まつすぐに東京へ帰ると決心してゐながら、いざ乗込むといふ場合になると、不思議に継子さんのことが甚《ひど》く不安になつて来ましたので、乗らうか乗るまいかと考へてゐるうちに、汽車はわたくしを置去《おきざ》りにして出て行つてしまひました。
もう斯《こ》うなると次の列車を待つてはゐられません。わたくしは湯河原へ引返《ひっかえ》すことにして、再び小田原行の電車に乗りました。
こゝまで話して来て、Mの奥さんは一息ついた。
「まあ、驚くぢやございませんか。それから湯河原へ引返しますと、継子さんはほんたうに死んでゐるのです。」
「死んでゐましたか。」と、聴く人々も眼《め》を瞠《みは》つた。
「わたくしが発《た》つた時分には勿論《もちろん》何事もなかつたのです。それからも別に変つた様子もなくつて、宿の女中にたのんで、雨のために既《も》う一日逗留するといふ電報を東京の家《うち》へ送つたさうです。さうして、食卓《ちゃぶだい》にむかつて手紙をかき始めたさうです。その手紙はわたくしに宛てたもので、自分だけが後に残つてわたくし一人を先へ帰した云訳《いいわけ》が長々と書いてありました。それを書いてゐるあひだに、不二雄さんはタオルを持つて一人で風呂場へ出て行つて、やがて帰つて来てみると、継子さんは食卓《ちゃぶだい》の上にうつ伏してゐるので、初めはなにか考へてゐるのかと思つたのですが、どうも様子が可怪《おかし》いので、声をかけても返事がない。揺つてみても正体がないので、それから大騒ぎになつたのですが、継子さんはもうそれぎり蘇生《いきかえ》らないのです。お医師《いしゃ》の診断によると、心臓|麻痺《まひ》ださうで……。尤《もっと》も継子さんは前の年にも脚気《かっけ》になつた事がありますから、矢はりそれが原因になつたのかも知れません。なにしろ、わたくしも呆気《あっけ》に取られてしまひました。いえ、それよりも私《わたくし》をおどろかしたのは、国府津の停車場で出逢《であ》つた娘のことで、あれは一体何者でせう。不二雄さんは不意の出来事に顛倒《てんとう》してしまつて、なか/\私《わたくし》のあとを追ひかけさせる余裕はなかつたのです。宿からも使《つかい》などを出したことはないと云ひます。してみると、その娘の正体が判りません。どうしてわたくしに声をかけたのでせう。娘が教へてくれなかつたら、わたくしは何にも知らずに東京へ帰つてしまつたでせう。ねえ、さうでせう。」
「さうです、さうです。」と、人々はうなづいた。
「それがどうも判りません。不二雄さんも不思議さうに首をかしげてゐました。わたくしに宛てた継子さんの手紙は、もうすつかり[#「すつかり」に傍点]書いてしまつて、状袋《じょうぶくろ》に入れたまゝで食卓《ちゃぶだい》の上に置いてありました。」
底本:「日本幻想文学集成23 岡本綺堂」国書刊行会
1993(平成5)年9月20日初版第1刷発行
底本の親本:「綺堂読物集・三」春陽堂
1926(大正15)年
初出:「講談倶楽部」
1925(大正14)年5月
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
入力:林田清明
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年6月5日作成
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