すつかり癒《なお》つて二月のはじめ頃から湯河原へ転地してゐるので、学校の試験休みのあひだに一度お見舞に行きたいと、継子さんはかね/″\云つてゐたのですが、いよ/\明後日の日曜日に、それを実行することになつて、ふだんから仲の好いわたくしを誘つて下すつたといふわけでございます。とても日帰りといふ訳には行きませんので、先方に二晩泊つて、火曜日の朝帰つて来るといふことでしたが、修学旅行以外には滅多《めった》に外泊したことの無いわたくしですから、兎《と》もかくも両親に相談した上で御返事をすることにして、その日は継子さんに別れました。
それから両親に相談いたしますと、おまへが行きたければ行つても好いと、親達もこゝろよく承知してくれました。わたくしは例のお転婆《てんば》でございますから、大よろこびで直《すぐ》に行くことにきめまして、継子さんとも改めて打合せた上で、日曜日の午前の汽車で、新橋を発《た》ちました。御承知の通り、その頃はまだ東京駅はございませんでした。継子さんは熱海《あたみ》へも湯河原へも旅行した経験があるので、わたくしは唯《ただ》おとなしくお供をして行けば好いのでした。
お供と云つて、別に謙遜の意味でも何でもございません。まつたく文字通りのお供に相違ないのでございます。と云ふのは、水沢継子さんの阿兄《おあにい》さん――継子さんもそう云つてゐますし、わたくし共も矢はりさう云つてゐましたけれど、実はほんたうの兄《あに》さんではない、継子さんとは従兄妹《いとこ》同士で、ゆく/\は結婚なさるといふ事をわたくしも予《かね》て知つてゐたのでございます。その阿兄さんのところへ尋ねて行く継子さんはどんなに楽《たのし》いことでせう。それに附いて行くわたくしは、どうしてもお供といふ形でございます。いえ、別に嫉妬《やきもち》を焼くわけではございませんが、正直のところ、まあそんな感じが無いでもありません。けれども、又一方にはふだんから仲の好い継子さんと一緒に、たとひ一日でも二日でも春の温泉場へ遊びに行くといふ事がわたくしを楽ませたに相違ありません。
殊《こと》にその日は三月下旬の長閑《のどか》な日で、新橋を出ると、もうすぐに汽車の窓から春の海が広々とながめられます。わたくし共の若い心はなんとなく浮立つて来ました。国府津《こうづ》へ着くまでのあひだも、途中の山や川の景色がどんなに私《わた
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