すでに黒魚のために食われてしまったのであるぞ」
妻は大いにおどろいて、なにとぞ夫のために仇を報いてくだされと、天師にすがって嘆いた。張天師は壇に登って法をおこなうと、果たして長さ数丈ともいうべき大きい黒魚が、正体をあらわして壇の前にひれ伏した。
「なんじの罪は斬《ざん》に当る」と、天師はおごそかに言い渡した。「しかし知県に化けているあいだにすこぶる善政をおこなっているから、特になんじの死をゆるしてやるぞ」
天師は大きい甕《かめ》のなかにかの魚を押し籠めて、神符をもってその口を封じ、県衙《けんが》の土中に埋めてしまった。
そのときに、魚は甕のなかからしきりに哀れみを乞うと、天師はまた言い渡した。
「今は赦《ゆる》されぬ。おれが再びここを通るときに放してやる」
張天師はその後ふたたび帰安県を通らなかった。
狗熊
清《しん》の乾隆《けんりゅう》二十六年のことである。虎※[#「亡+おおざと」、第3水準1−92−61]《こきゅう》に乞食があって一頭の狗熊《くゆう》を養っていた。熊の大きさは川馬《せんば》のごとくで、箭《や》のような毛が森立している。
この熊の不思議は、物をいうことこそ出来ないが、筆を執って能く字をかき、よく詩を作るのである。往来の人が一銭をあたえれば、飼いぬしの乞食がその熊を見せてくれる。さらに百銭をあたえて白紙をわたせば、飼い主は彼に命じて唐詩一首を書かせてくれる。まことに不思議の芸であった。
ある日、飼い主が外出して、獣《けもの》だけ独り残っているところへ、ある人が行って例のごとくに一枚の紙をあたえると、熊は詩を書かないで、思いも寄らないことを書いた。
自分は長沙《ちょうさ》の人で、姓は金《きん》、名は汝利《じょり》というものである。若いときにこの乞食に拐引《かどわか》されて、まず唖になる薬を飲まされたので、物をいうことが出来なくなった。その家には一頭の狗熊が飼ってあって、自分を赤裸にしてそれと一緒に生活させ、それから細い針を用いて自分の全身を隙間なく突き刺して、熱血淋漓たる時、一方の狗熊を殺してその生皮《なまかわ》を剥ぎ、すぐに自分の肌の上を包んだので、人の生き血と熊の生き血とが一つに粘《ねば》り着いて、皮は再び剥がれることなく、自分はそのままの狗熊になってしまった。それを鉄の鎖につないで、こうして芸を売らせているので、今日《こ
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