っているようでした。そのうちに馬の用意も出来たので、人びとはその馬に乗って元の岸へ戻って来ましたが、初めから終りまで向うの人たちにはこちらの姿が見えなかったらしいということでした。
 これは作り話でなく、青州の節度使|賀徳倹《がとくけん》、魏博《ぎはく》の節度使|楊厚《ようこう》などという偉い人びとが、その商人《あきんど》の口から直接に聴いたのだと申します。

   蛇喰い

 安陸《あんりく》の毛《もう》という男は毒蛇を食いました。食うといっても、酒と一緒に呑むのだそうですが、なにしろ変った人間で、蛇食い又は蛇使いの大道《だいどう》芸人となって諸国を渡りあるいた末に、予章《よしょう》という所に足をとどめて、やはり蛇を使いながら十年あまりも暮らしていました。
 すると、ここに薪《たきぎ》を売る者がありまして、※[#「番+おおざと」、第3水準1−92−82]陽《はんよう》から薪を船に積んで来て、黄培山《こうばいさん》の下に泊まりますと、その夜の夢にひとりの老人があらわれて、わたしが頼むから、一匹の蛇を江西の毛《もう》という蛇使いの男のところへ届けてくれと言いました。そこで、その人は予章へ行って、毛のありかを探しているうちに、持って来た薪も大抵は売り尽くしてしまいました。
 そのときに一匹の蒼白い蛇が船舷《ふなぞこ》にわだかまっているのを初めて発見しましたが、蛇は人を見てもおとなしくとぐろ[#「とぐろ」に傍点]を巻いたままで逃げようともしません。さてはこの蛇だなと気がついて、それを持って岸へあがりますと、ようように毛という男の居どころが判りました。
 毛はその蛇を受取って引き伸ばそうとすると、蛇はたちまちに彼の指を強く噛みましたので、毛はあっ[#「あっ」に傍点]と叫んで倒れましたが、それぎりで遂に死んでしまいました。そうして、その死骸は間もなく腐って頽《くず》れました。
 蛇はどこへ行ったか、そのゆくえは知れなかったそうです。

   地下の亀

 李宗《りそう》が楚州の刺史《しし》(州の長官)となっている時、その郡ちゅうにひとりの尼がありまして、ある日、町なかをあるいていると、たちまち大地に坐ったままで動かなくなりました。おまけに幾日も飲まず食わずにいるのです。
 その訴えを聞いて、李は武士らに言い付けて無理にその尼のからだを引き起して、試みにその坐っていた地の下をほり返してみると、長さ五、六尺の大きい亀があらわれました。亀は生きているので、川へ放してやりました。
 尼はその後、別条もありませんでした。

   剣

 建《けん》州の梨山廟《りざんびょう》というのは、もとの宰相|李廻《りかい》を祀《まつ》ったのだと伝えられています。李は左遷されて建州の刺史となって、臨川《りんせん》に終りましたが、その死んだ夜に、建安《けんあん》の人たちは彼が白馬に乗って梨山に入ったという夢をみたので、そこに廟を建てることになったのだそうです。
 呉《ご》という大将が兵を率いて晋安《しんあん》に攻め向うことになりました。呉は新しく鋳《い》らせた剣を持っていまして、それが甚だよく切れるのです。彼は出陣の節に、その剣をたずさえて梨山の廟に参詣しました。
「どうぞこの剣で、手ずから十人の敵を斬り殺させていただきとうございます」と、彼は神前に祈りました。
 その夜の夢に、神のお告げがありました。
「人は悪い願いをかけるものではない。しかし私はおまえを祐《たす》けて、お前が人手にかからないように救ってやるぞ」
 いよいよ合戦になると、呉の軍は大いに敗れて、左右にいる者もみな散りぢりになりました。敵は隙間なく追いつめて来ます。
 とても逃げおおせることは出来ないと覚悟して、呉はかの剣をもってみずから首を刎《は》ねて死にました。

   金児と銀女

 建安の村に住んでいる者が、常に一人の小さい奴《しもべ》を城中の市《いち》へ使いに出していました。
 家の南に大きい古塚がありまして、城へ行くにはここを通らなければなりません。奴がそこを通るたびに、黄いろい着物をきた少年が出て来て、相撲を一番取ろうというのです。こっちも年が若いものですから、喜んでその相手になって、毎日のように相撲を取っていました。それがために往復の時間が毎日おくれるので、主人が怪しんで叱りますと、奴も正直にその次第を白状しました。
「よし。それではおれが一緒にゆく」
 主人は槌《つち》を持って草のなかに忍んでいると、果たしてかの少年が出て来て、奴に相撲をいどむのです。主人が不意に飛び出して打ち据えると、少年のすがたは忽ちに金で作った小児に変りました。それを持って帰ったので、主人の家は金持になりました。
 又一つ、それに似た話があります。
 廬《ろ》州の軍吏|蔡彦卿《さいげんけい》という人が拓皐《たくこう》というところの鎮将となっていました。ある夏の夜、鎮門の外に出て涼んでいると、路の南の桑林のなかに、白い着物をきた一人の女が舞っているのを見ました。不思議に思って近寄ると、女のすがたは消えてしまいました。
 あくる夜、蔡は杖を持ち出して、その桑林の草むらに潜んでいると、やがてかの女があらわれて、ゆうべと同じように舞い始めたので、彼は飛びかかって打ち仆《たお》すと、女は一枚の白金に変りました。さらにその辺の土を掘り返すと、数千両の銀が発見されました。

   海神

 江南の朱廷禹《しゅていう》という人の親戚なにがしが海を渡るときに難風に逢いまして、舟がもうくつがえりそうになりました。
「それは海の神が何か欲しがっているのですから、ためしに荷物を捨ててごらんなさい」と、船頭が言いました。
 そこで、舟に積んでいる荷物を片端から海へ投げ込みましたが、波風はなかなか鎮まりそうもありません。そのうちに一人の女が舟に乗って来ました。女は絶世の美人で、黄いろい衣《きもの》を着て、四人の従卒に舟を漕がせていましたが、その卒はみな青い服を着て、朱《あか》い髪を散らして、豕《いのこ》のような牙《きば》をむき出して、はなはだ怖ろしい形相《ぎょうそう》の者どもばかりでした。
 女はこちらの舟へはいって来て言いました。
「この舟にはいい髢《かもじ》がある筈だから、見せてもらいたい」
 こちらは慌てているので、髢などはどうしたか忘れてしまって、舟にあるだけの物はみな捨てましたと答えると、女は頭《かしら》をふりました。
「いや、舟のうしろの壁ぎわに掛けてある箱のなかに入れてある筈だ」
 探してみると、果たしてその通りでした。舟には食料の乾肉《ほしにく》が貯えてありましたので、女はそれを取って従卒らに食わせましたが、かれらの手はみな鳥の爪のように見えました。
 女は髢を取って元の舟へ乗り移ると、人も舟もやがて波間に隠れてしまいました。波も風もいつか鎮まって、舟は安らかに目的地の岸へ着きました。

   海人

 東《とう》州、静海《せいかい》軍の姚氏《ちょうし》がその部下と共に、海の魚を捕って年々の貢物《みつぎもの》にしていました。
 ある時、日もやがて暮れかかるのに、一向に魚が捕れないので、困ったものだと思っていると、たちまち網にかかった物がありました。それは一個の真っ黒な人間で、からだじゅうに長い毛が生えていまして、手をこまぬいて突っ立っているのです。おまえは何者だと訊いても、返事をしません。
「これは海人《かいじん》というものです」と、漁師は言いました。「これが出ると必ず災いがあります。何かの事のないように、いっそ殺してしまいましょう」
「いや、これは神霊の物だ。みだりに殺すのは不吉である」
 姚は彼をゆるして、祈りました。
「お前がわたしのためにたくさんの魚をあたえて、職務を怠るの罪を免かれるようにしてくれれば、まことに神というべきである」
 毛だらけの黒い人間は、退いて水の上をゆくこと数十歩で沈んでしまいました。その明くる日からは例年に倍《ばい》する大漁でした。

   怪獣

 李遇《りぐう》が宣武《せんぶ》の節度使となっている時、その軍政は大将の朱従本《しゅじゅうほん》にまかせて置きました。朱の家には猴《さる》を飼ってありましたが、厩《うまや》の者が夜なかに起きて馬に秣《まぐさ》をやりに行くと、そこに異物を見ました。
 それは驢馬《ろば》のような物で、黒い毛が生えていました。しかも手足は人間のようで、大地に坐ってかの猴を食っているのでした。人の来たのを見て、かれは猴を捨てましたが、もう半分ほどは食われていました。
 その明くる年、李遇の一族は誅せられました。故老の話によると、郡中にはこの怪物が居りまして、軍部に何か異変のあるたびに、かれは姿をあらわします。それが出ると、城中いっぱいに忌《いや》な臭いがするそうです。反乱を起した田※[#「君+頁」、174−11]《でんいん》が敗れようとする時にも、かの怪物が街なかにあらわれて、夜警の者はそれを見つけましたが、恐れて近寄りませんでした。果たして一年を過ぎないうちに、田は敗れました。

   四足の蛇

 舒州《じょしゅう》の人が山にはいって大蛇を見たので、直ぐにそれを撃ち殺しました。よく見ると、その蛇には足があるので、不思議に思って背負って帰ると、途中で県の役人五、六人に逢いました。
「わたしは今この蛇を殺しましたが、蛇には四つの足があるのです」
 そう言われても、役人たちには蛇の形が見えないのです。
「その蛇はどこにいるのだ」
「いるではありませんか。これが見えないのですか」
 その人は蛇を地面に投げ出すと、役人たちは初めて蛇の形を見ました。その代りに、今度は蛇を見るばかりで、その人の形が見えなくなりました。なにかの怪物に相違ないというので、蛇はそのまま捨てて帰ったそうです。この蛇は生きているあいだに自分の形を隠すことが出来ず、死んでから人の形を隠すというのは、その理屈が判らないと著者も言っています。

   小奴

 天祐丙子《てんゆうひのえね》の年、浙西《せっせい》の軍士|周交《しゅうこう》が乱をおこして、大将の秦進忠《しんしんちゅう》をはじめ、張胤《ちょういん》ら十数人を殺しました。
 秦進忠は若い時、なにかの事で立腹して、小さい奴《しもべ》を殺しました。刃《やいば》をその心《むね》に突き透したのでした。その死骸は埋めてしまって年を経たのですが、末年になってかの小奴《しょうど》がむねを抱えて立っている姿を見るようになりました。初めは百歩を隔てていましたが、後にはだんだんに近寄って来ました。
 乱のおこる日も、いま家を出ようとする時、馬の前に小奴が立っているのを、左右の人びともみな見ました。役所へ出ると右の騒動で、彼は乱兵のために胸を刺されて死にました。
 同時に殺された張胤は、ひと月ほど前から自分の姓名を呼ぶ者があります。勿論その姿は見えませんが、声は透き通ったような強いひびきで、これも初めは遠く、後にはだんだんに近く、当日はわが面前にあるようにきこえましたが、役所へ出ると直ぐに討たれました。

   楽人

 建康《けんこう》に二人の楽人《がくじん》がありまして、日が暮れてから町へ出ますと、二人の僕《しもべ》らしい男に逢いました。
「陸判官《りくはんがん》がお招きです」
 招かれるままに付いてゆくと、大きい邸宅へ連れ込まれました。座敷の装飾や料理の献立《こんだて》なども大そう整っていまして、来客は十人あまり、みな善く酒を飲みました。楽人らは一生懸命に楽を奏していると、もう酒には飽きたから食うことにすると言い出しました。しかも自分たちが飲んだり食ったりするばかりで、楽人らにはなんにも宛《あて》がわないのです。
 夜がしらじらと明ける頃に、この宴会は果てましたが、楽人らはもう疲れ切って、門外の床の上にころがって正体なしに眠りました。眼が醒めると、二人は草のなかに寝ているのでした。そばには大きい塚がありました。
 土地の人に訊《き》くと、これは昔から陸判官の塚と言い伝えられているが、いつの時代の人だかわからないということでした。

   餅二枚

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