数丈の高さにのぼっているのを見た。
漢の末に赤眉《せきび》の賊が起った時に、賊兵は張良の墓をあばいたが、その死骸は発見されなかった。黄いろい石も行くえが知れなかった。墓の上にあがる黄気もおのずから消え失せた。
異魚
※[#「魚+侯」、第3水準1−94−45]※[#「魚+夷」、第3水準1−94−41]魚《こういぎょ》は河豚《ふぐ》の一種で、虎斑がある。わが虎鰒《とらふぐ》のたぐいであって、なま煮えを食えば必ず死ぬと伝えられている。
饒《じょう》州に呉《ご》という男があった。家は豊かで、その妻の実家も富んでいて、夫婦の仲もむつまじく、なんの欠けたところもなかった。ところが、ある日のこと、呉が酔って来て、床の上にぶっ倒れてしまった。妻が立ち寄って、その着物を着換えさせ、履《くつ》を脱がせようとして其の足を挙げさせる時、酔っている夫は足をぶらぶらさせて、思わず妻の胸を蹴ると、彼女はそのまま仆《たお》れて死んだ。夫は酔っていて、なんにも知らないのであった。
しかし妻の里方《さとかた》では承知しない。呉が妻を殴《う》ち殺したといって告訴に及んだが、この訴訟事件は年を経ても解決せず、州郡の役人らにも処決することが出来ないので、遂に上聞《じょうぶん》に達することになって、呉を牢獄につないで朝廷の沙汰を待っていた。
呉の親族らはそれを聞いて懼《おそ》れた。上聞に達する上は必ず公然の処刑を受けるに相違ない。そうなっては一族全体の恥辱であるというので、差し入れの食物のうちにかの※[#「魚+侯」、第3水準1−94−45]※[#「魚+夷」、第3水準1−94−41]魚の生き鱠《なます》を入れて送った。呉がそれを食って獄中で自滅するように計ったのである。しかも呉はそれを食っても平気であった。親族らはしばしばこの手を用いたが、遂に彼を斃《たお》すことが出来なかったのみか、却ってますます元気を増したように見えた。
そのうちにあたかも大赦《たいしゃ》に逢って、呉は赦されて家に帰った。その後も子孫繁昌して、彼は八十歳までも長命して天寿をまっとうした。この魚はなま煎《に》えを食ってさえも死ぬというのに、生《なま》のままでしばしば食っても遂に害がなかったのは、やはり一種の天命というのであろうか。
底本:「中国怪奇小説集」光文社
1994(平成6)年4月20日第1刷発行
※校正には、1999(平成11)年11月5日3刷を使用しました。
※「※[#「土+已」、159−2]橋《ひきょう》の老人」には、「※[#「土+巳」、第3水準1−15−36]橋《いきょう》の老人」の誤りを疑いましたが、初出の「支那怪奇小説集」サイレン社、1935(昭和10)年11月24日発行でも異同がなかったので、底本通りとしました。
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2003年7月31日作成
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