方角へむかったかと思うと、その夜半に再び帰って来たのを見たので、翌日それを寺僧に語ると、僧もすこぶる不思議に思っていた。
それからまた五、六日の後、村民の斎《とき》に呼ばれて、寺中の僧は朝からみな出てゆくと、その留守の間にかの土龍の姿が見えなくなったので、人びとはまた驚かされた。
「たとい土で作った物でも、龍の形をなす以上、それが霊ある物に変じたのであろう」
こう言っていると、その晩に渭水の上から黒雲が湧き起って、次第にこの寺をつつむように迫って来たかと見るうちに、その雲のあいだから一つの物が躍り出て、西の軒端へ流れるように入り込んだので、寺の僧らはまた驚き怖れた。やがて雲も収まり、空も明るくなったので、かの軒の下にあつまって瞰あげると、土龍は元の通りに帰っていたが、その鱗《うろこ》も角《つの》もみな一面に湿《ぬ》れているのを発見した。
その以来、龍の再び抜け出さないように、鉄の鎖《くさり》をもって繋いで置くことにした。旱魃《かんばつ》のときに雨を祈れば、かならず奇特《きどく》があると伝えられている。
阿弥陀仏
宣城《せんじょう》郡、当塗《とうと》の民に劉成《りゅうせい》、李暉《りき》の二人があった。かれらは大きい船に魚や蟹《かに》のたぐいを積んで、呉《ご》や越《えつ》の地方へ売りに出ていた。
唐の天宝《てんぽう》十三年、春三月、かれらは新安《しんあん》から江を渡って丹陽《たんよう》郡にむかい、下査浦《かさほ》というところに着いた。故郷の宣城を去る四十里(六丁一里)の浦である。日もすでに暮れたので、二人は船を岸につないで上陸した。
そこで、李は岸の人家へたずねて行き、劉は岸のほとりにとどまっていると、夜は静かで水の音もひびかない。その時、たちまち船のなかで怪しい声がきこえた。
「阿弥陀仏、阿弥陀仏」
おどろいて透かして視ると、一尾の大きい魚が船のなかから鬚《ひげ》をふり、首をうごかして、あたかも人の声をなして阿弥陀仏を叫ぶのであった。劉はぞっ[#「ぞっ」に傍点]として、蘆《あし》のあいだに身をひそめ、なおも様子をうかがっていると、やがて船いっぱいの魚が一度に跳ねまわって、みな口々に阿弥陀仏を唱え始めたので、劉はもう堪《た》まらなくなって、あわてて船へ飛び込んで、船底にあるだけの魚を手あたり次第に水のなかへ投げ込んだ。
全部の魚を放してしまったところへ、李が戻って来た。彼は劉の話をきいて大いに怒った。
「ばかばかしい。おれたちは今夜初めてこの商売をするのじゃあねえ。魚なんぞが化けて堪まるものか」
劉がいかに説明して聞かせても、李は決して信じなかった。商売物の魚をみんな捨ててしまってどうするのだと、彼は激しく劉に食ってかかるので、劉もその言い訳に困って、とうとう李の損失だけを自分がつぐなうことにした。そうなると、剰《あま》すところは僅かに百銭に過ぎないので、劉はその村で荻《おぎ》十余束を買い込み、あしたの朝になったらば船に積むつもりで、その晩は岸のほとりに横たえて置いた。
さて翌朝になって、いよいよそれを積み込もうとすると、荻の束《たば》がひどく重い。怪しんでその束を解いてみると、緡《さし》になっている銭《ぜに》一万五千を発見した。それには「汝に魚の銭を帰《き》す」と書いてあった。劉はますます奇異の感を深うして、瓜洲《かしゅう》に僧侶をあつめて読経をしてもらった上に、かの銭はみな施して帰った。
柳将軍の怪
東洛《とうらく》に古屋敷があって、その建物はすこぶる宏壮であるが、そこに居る者は多く暴死《ぼうし》するので、久しく鎖《とざ》されたままで住む者もなかった。
唐の貞元《ていげん》年中に盧虔《ろけん》という人が御史《ぎょし》に任ぜられて、宿所を求めた末にかの古屋敷を見つけた。そこには怪異があるといって注意した者もあったが、盧は肯《き》かなかった。
「妖怪があらわれたらば、おれが鎮めてやる」
平気でそこに移り住んで、奴僕《しもべ》どもはみな門外に眠らせ、自分は一人の下役人と共に座敷のまん中に陣取っていた。下役人は勇悍《ゆうかん》にして弓を善《よ》くする者であった。
やがて夜が更けて来たので、下役人は弓矢をたずさえて軒下に出ていると、やがて門を叩く者があった。下役人は何者だとたずねると、外では答えた。
「柳《りゅう》将軍から盧君に書面をお届け申す」
言うかと思うと、一幅《いっぷく》の書がどこからとも知れずに軒下へ舞い落ちた。それは筆をもって書いたもので、字画《じかく》も整然と読まれた。その文書の大意は――我はここに年《とし》久しく住んでいて、家屋|門戸《もんこ》みな我が物である。そこへ君が突然に入り込んで済むと思うか。もし君の住宅へ我々が突然に踏み込んだら、君もおそらく捨てては置くまい。
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