た》ち割って臓腑をつかみ出し、さらに自分の首を切り、手足を切った。桓温は驚き怖れて逃げ帰ると、暫くして尼僧は浴室を出て来たが、その身体は常のごとくであるので、彼は又おどろかされた。しかも彼も一個の豪傑であるので、尼僧に対して自分の見た通りを正直に打ちあけて、さてその子細を聞きただすと、尼僧はおごそかに答えた。
「もし上《かみ》を凌ごうとする者があれば、皆あんな有様になるのです」
桓温は顔の色を変じた。実をいえば、彼は多年の威力を恃《たの》んで、ひそかに謀叛《むほん》を企てていたのであった。その以来、彼は懼《おそ》れ戒《いまし》めて、一生無事に臣節を守った。尼僧はやがてここを立ち去って行くえが知れなかった。
尼僧の教えを奉じた桓温は幸いに身を全うしたが、その子の桓玄《かんげん》は謀叛を企てて、彼女の予言通りに亡ぼされた。
夫の影
東晋《とうしん》の董寿《とうじゅ》が誅せられた時、それが夜中であったので、家内の者はまだ知らなかった。
董の妻はその夜唯ひとりで坐っていると、たちまち自分のそばに夫の立っているのを見た。彼は無言で溜め息をついているのであった。
「あなた、今頃どうしてお退がりになったのです」
妻は怪しんでいろいろにたずねたが、董はすべて答えなかった。そうして、無言のままに再びそこを出て、家に飼ってある※[#「鷄」の「鳥」に代えて「隹」、第3水準1−93−66]籠《とりかご》のまわりを繞《めぐ》ってゆくかと思うと、籠のうちの※[#「鷄」の「鳥」に代えて「隹」、第3水準1−93−66]《にわとり》が俄かに物におどろいたように消魂《けたたま》しく叫んだ。妻はいよいよ怪しんで、火を照らして窺うと、籠のそばにはおびただしい血が流れていた。
「さては凶事があったに相違ない」
母も妻も一家こぞって泣き悲しんでいると、果たして夜が明けてから主人の死が伝えられた。
蛮人の奇術
魏《ぎ》のとき、尋陽《じんよう》県の北の山中に怪しい蛮人が棲んでいた。かれは一種の奇術を知っていて、人を変じて虎とするのである。毛の色から爪や牙《きば》に至るまで、まことの虎にちっとも変らず、いかなる人をも完全なる虎に作りかえてしまうのであった。
土地の周《しゅう》という家に一人の奴僕《しもべ》があった。ある日、薪《たきぎ》を伐るために、妻と妹をつれて山の中へ分け入ると
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