るうちに、測らずも大赦《たいしゃ》に逢って青天白日《せいてんはくじつ》の身となった。
 その以来、その家では代々その虫の祭祀を続けているのである。

   父母の霊

 劉根《りゅうこん》は字《あざな》を君安《くんあん》といい、長安《ちょうあん》の人である。漢の成帝《せいてい》のときに嵩山《すうざん》に入って異人に仙術を伝えられ、遂にその秘訣を得て、心のままに鬼を使うことが出来るようになった。
 頴川《えいせん》の太守、史祈《しき》という人がそれを聞いて、彼は妖法をおこなう者であると認め、役所へよび寄せて成敗しようと思った。召されて劉が出頭すると、太守はおごそかに言い渡した。
「貴公はよく人に鬼を見せるというが、今わたしの眼の前へその姿をはっきりと見せてくれ。それが出来なければ刑戮《けいりく》を加えるから覚悟しなさい」
「それは訳もないことです」
 劉は太守の前にある筆や硯《すずり》を借りて、なにかの御符《おふだ》をかいた。そうして、机を一つ叩くと、忽ちそこへ五、六人の鬼があらわれた。鬼は二人の囚人を縛って来たので、太守は眼を据えてよく視ると、その囚人は自分の父と母であった。父母はまず劉にむかって謝まった。
「小忰《こせがれ》めが飛んだ無礼を働きまして、なんとも申し訳がございません」
 かれらは更に我が子を叱った。
「貴様はなんという奴だ。先祖に光栄をあたえる事が出来ないばかりか、かえって神仙に対して無礼の罪をかさね、生みの親にまでこんな難儀をかけるのか」
 太守は実におどろいた。彼は俄《にわ》かに劉の前に頭《かしら》をすり付けて、無礼の罪を泣いて詫《わ》びると、劉は黙って何処《どこ》へか立ち去った。

   無鬼論

 阮瞻《げんせん》は字《あざな》を千里《せんり》といい、平素から無鬼論を主張して、鬼などという物があるべき筈がないと言っていたが、誰も正面から議論をこころみて、彼に勝ち得る者はなかった。阮もみずからそれを誇って、この理をもって推《お》すときは、世に幽と明と二つの界《さかい》があるように伝えるのは誤りであると唱えていた。
 ある日、ひとりの見識らぬ客が阮をたずねて来て、式《かた》のごとく時候の挨拶が終った後に、話は鬼の問題に移ると、その客も大いに才弁のある人物で、この世に鬼ありと言う。阮は例の無鬼論を主張し、たがいに激論を闘わしたが、客の方が遂に言い負かされてしまった。と思うと、彼は怒りの色をあらわした。
「鬼神のことは古今の聖人|賢者《けんじゃ》もみな言い伝えているのに、貴公ひとりが無いと言い張ることが出来るものか。論より証拠、わたしが即ち鬼である」
 彼はたちまち異形《いぎょう》の者に変じて消え失せたので、阮はなんとも言うことが出来なくなった。彼はそれから心持が悪くなって、一年あまりの後に病死した。

   盤瓠

 高辛氏《こうしんし》の時代に、王宮にいる老婦人が久しく耳の疾《やまい》にかかって医師の治療を受けると、医師はその耳から大きな繭《まゆ》のごとき虫を取り出した。老婦人が去った後、瓠《ひさご》の籬《かき》でかこって盤《ふた》をかぶせて置くと、虫は俄かに変じて犬となった。犬の毛皮には五色《ごしき》の文《あや》があるので、これを宮中に養うこととし、瓠と盤とにちなんで盤瓠《ばんこ》と名づけていた。
 その当時、戎呉《じゅうご》という胡《えびす》の勢力が盛んで、しばしば国境を犯すので、諸将をつかわして征討を試みても、容易に打ち勝つことが出来ない。そこで、天下に触れを廻して、もし戎呉の将軍の首を取って来る者があれば、千|斤《きん》の金をあたえ、万戸《ばんこ》の邑《むら》をあたえ、さらに王の少女を賜わるということになった。
 やがて盤瓠は一人の首をくわえて王宮に来た。それはかの戎呉の首であったので、王はその処分に迷っていると、家来たちはみな言った。
「たとい敵の首を取って来たにしても、盤瓠は畜類であるから、これに官禄を与えることも出来ず、姫君を賜わることも出来ず、どうにも致し方はありますまい」
 それを聞いて少女は王に申し上げた。
「戎呉の首を取った者にはわたくしを与えるということをすでに天下に公約されたのです。盤瓠がその首を取って来て、国のために害を除いたのは、天の命ずるところで、犬の知恵ばかりではありますまい。王者は言《げん》を重んじ、伯者は信を重んずと申します。女ひとりの身を惜しんで、天下に対する公約を破るのは、国家の禍《わざわ》いでありましょう」
 王も懼《おそ》れて、その言葉に従うことになった。約束の通りに少女をあたえると、犬は彼女を伴って南山にのぼった。山は草木《そうもく》おい茂って、人の行くべき所ではなかった。少女は今までの衣裳を解き捨てて、賤《いや》しい奴僕《ぬぼく》の服を着け、犬の導くままに山
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