るが、どうだ」
「よろしい。お頼み申す」
 眉間尺はすぐに我が手でわが首をかき落して、両手に首と剣とを捧げて突っ立っていた。
「たしかに受取った」と、男は言った。「わたしは必ず約束を果たしてみせる」
 それを聞いて、眉間尺の死骸は初めて仆《たお》れた。
 旅の男はそれから楚王にまみえて、かの首と剣とを献じると、王は大いに喜んだ。
「これは勇士の首であるから、この儘《まま》にして置いては祟《たた》りをなすかも知れません。湯※[#「獲」の「けものへん」に代えて「金へん」、第3水準1−93−41]《ゆがま》に入れて煮るがよろしゅうござる」と、男は言った。
 王はその言うがままに、眉間尺の首を煮ることにしたが、三日を過ぎても少しも爛《ただ》れず、生けるが如くに眼を瞋《いか》らしているので、男はまた言った。
「首はまだ煮え爛れません。あなたが自身に覗《のぞ》いて卸覧になれば、きっと爛れましょう」
 そこで、王はみずから其の湯を覗きに行くと、男は隙《すき》をみてかの剣をぬき放し、まず王の首を熱湯《にえゆ》のなかへ切り落した。つづいて我が首を刎《は》ねて、これも湯のなかへ落した。眉間尺の首と、楚王の首と、かの男の首と、それが一緒に煮え爛れて、どれが誰だか見分けることが出来なくなったので、三つの首を一つに集めて葬ることにした。
 墓は俗に三王の墓と呼ばれて、今も汝南《じょなん》の北、宜春《ぎしゅん》県にある。

   宋家の母

 魏《ぎ》の黄初《こうしょ》年中のことである。
 清河《せいか》の宋士宗《そうしそう》という人の母が、夏の日に浴室へはいって、家内の者を遠ざけたまま久しく出て来ないので、人びとも怪しんでそっと覗《のぞ》いてみると、浴室に母の影は見えないで、水風呂のなかに一頭の大きいすっぽんが浮かんでいるだけであった。たちまち大騒ぎとなって、大勢が駈け集まると、見おぼえのある母のかんざしがそのすっぽんの頭の上に乗っているのである。
「お母さんがすっぽんに化けた」
 みな泣いて騒いだが、どうすることも出来ない。ただ、そのまわりを取りまいて泣き叫んでいると、すっぽんはしきりに外へ出たがるらしい様子である。さりとて滅多《めった》に出してもやられないので、代るがわるに警固しているあいだに、あるとき番人の隙《すき》をみて、すっぽんは表へ這い出した。又もや大騒ぎになって追いかけたが、すっぽんは非常に足が疾《はや》いので遂に捉えることが出来ず、近所の川へ逃げ込ませてしまった。
 それから幾日の後、かのすっぽんは再び姿をあらわして、宋の家のまわりを這い歩いていたが、又もや去って水に隠れた。
 近所の人は宋にむかって母の喪服を着けろと勧めたが、たとい形を変じても母はまだ生きているのであると言って、彼は喪服を着けなかった。

   青牛

 秦《しん》の時、武都《ぶと》の故道に怒特《どとく》の祠《やしろ》というのがあって、その祠のほとりに大きい梓《あずさ》の樹が立っていた。
 秦の文公《ぶんこう》の、二十七年、人をつかわしてその樹を伐らせると、たちまちに大風雨が襲い来たって、その切り口を癒合《ゆごう》させてしまうので、幾日を経ても伐り倒すことが出来ない。文公は更に人数を増して、四十人の卒に斧《おの》を執《と》らせたが、なおその目的を達することが出来ないので、卒もみな疲れ果てた。
 その一人は足を傷つけて宿舎へも帰られず、かの樹の下に転がったままで一夜を明かすと、夜半に及んで何者か尋ねて来たらしく、樹にむかって話しかけた。
「戦いはなかなか骨が折れるだろう」
「なに、骨が折れるというほどのことでもない」と、樹のなかで答えた。
 一人がまた言った。
「しかし文公がいつまでも強情《ごうじょう》にやっていたら、仕舞いにはどうする」
「どうするものか。根《こん》くらべだ」
「そう言っても、もし相手の方で三百人の人間を散らし髪にして、赭《あか》い着物をきせて、朱《あか》い糸でこの樹を巻かせて、斧を入れた切り口へ灰をかけさせたら、お前はどうする」
 樹の中では黙ってしまった。
 樹の下に寝ていた男はその問答を聞きすまして、明くる日それを申し立てたので、文公は試みにその通りにやってみることにした。三百人の士卒が赭い着物をきて、散らし髪になって、朱い糸を樹の幹にまき付けて、斧を入れるごとに其の切り口に灰をそそぐと、果たして大樹は半分ほども撃ち切られた。そのとき一頭の青い牛が樹の中から走り出て、近所の※[#「さんずい+豊」、第3水準1−87−20]水《ほうすい》という河へ跳り込んだ。
 これで目的の通りに、梓の大樹を伐り倒すことが出来たが、青牛はその後も※[#「さんずい+豊」、第3水準1−87−20]水から姿をあらわすので、騎士をつかわして撃たせると、牛はなかなか勢い猛《た
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