ます。」
お元は怪しい女でなく、不幸の女である。その悲しい身の上ばなしを聞かされて、気の弱いお此は涙ぐまれて来た。
四
これからがお元の懺悔である。
「まったく申訳のないことを致しました。この三月の二十七日に、伊平さんの商売の手伝いをして三軒屋の立場茶屋へ熊の皮や熊の胆を売りに行きますと、あなた方にお目にかかりました。その時に旦那さまが子細ありそうに、私の顔をじっと眺めておいでなさるので、なんだか、おかしいと思っておりますと、やがてわたくしを傍へ呼んで、おまえの左の二の腕に青い痣《あざ》はないかとお訊きになりました。さてはこの人は娘か妹か、なにかの女をさがしているに相違ないと思う途端に、ふっと悪い料簡が起りました。こんな木曾の山の中に、いつまで暮していても仕様がない。ここで何とかごまかして……。こう思ったのがわたくしの誤りでございました。奥へ連れて行かれる時に、店の柱へ二の腕をそっと強く打ちつけて、急ごしらえの痣をこしらえまして……。わたくしはまた何という大胆な女でございましょう。旦那さまの口占《くちうら》を引きながら、いい加減の嘘八百をならべ立てて、表に遊んでいるところを見識らない女に連れて行かれたの、それから京へ行って育てられたの、継母《ままはは》にいじめられたのと、まことしやかな作りごとをして、旦那さまをはじめ皆さんをいいように欺してしまって、とうとうこの家へ乗り込んだのでございます。思えば、一から十までわたくしが悪かったのでございます。どうぞ御勘弁をねがいます。」と、かれは前髪を畳にすり付けながら泣いた。
ここらでも人に知られた近江屋七兵衛、四十二歳の分別盛りの男が、いかにわが子恋しさに眼が眩《くら》んだといいながら、十七八の小女にまんまと一杯食わされたかと思うと、七兵衛も我ながら腹が立つやら、ばかばかしいやらで、しばらくは開《あ》いた口が塞がらなかった。それでもまだ腑に落ちないことがあるので、彼は気を取直して訊いた。
「そこで、鼠はどうしたのだ。おまえが持って来たのか。」
「それが不思議でございます。」と、お元はうるんだ眼をかがやかしながら答えた。「岐阜の宿をぬけ出す時に、商売道具は勿論、鼠もみんな置き去りにして来たのでございますが、途中まで出て気がつきますと、一匹の小鼠がわたくしの袂にはいっていたのでございます。どうして紛れ込んでいた
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