と、家《うち》の人達が心配しましょう。今夜は早くお帰りなさい。あなたには教えたいことが色々ありますが……。又来てくれますか。
おいよ お救い下さると仰《おっ》しゃるならば、わたくしは必ず伺います。
モウロ では、明日《あした》来てください。あしたの午過ぎに……。
おいよ かしこまりました。
(モウロはマリアの像をささげて来て、テーブルの上に置く。)
モウロ これは尊いマリア様のお姿です。今夜はこれをあなたに貸してあげますから、若し狼の声がきこえたらば、一心にお祈りなさい。判りましたか。サンタ、マリアと呼んで祈るのです。
おいよ (低い声で。)サンタ、マリア……。
モウロ そうです、そうです。(十字架をかざして。)サンタ、マリア。
正吉 サンタ、マリア。
おいよ (ひざまずいて。)サンタ、マリア。
(三人は合掌す。虫の声。外には月のひかり明るくなる。)

          二

 同じく村はずれの草原。一面に芒《すすき》その他のあき草が伸びている。正面には山々見ゆ。薄月のひかり。虫の声。
(上のかたより正吉とおいよ出づ。)
おいよ 道はよく判っていますから、もうここらでお帰りください。
正吉 道は判っておいででも、途中で又どんなことがあるかも知れないから、家《うち》の近所まで送りとどけてあげろと伴天連《バテレン》様のお指図でござります。
おいよ ほんに有難い伴天連様……。ああいうお方のおそばに付いていられるのは、お前のお仕合せでござりますな。
正吉 まったく仕合せでござります。それもみな神様のお救いであると、有難く思って居ります。
おいよ わたくしもそのお救いを受けることが出来ればよいが……。
正吉 疑うことはありません。神さまは屹とあなたをお救い下さります。明日《あした》はお出でになりますか。
おいよ 明日ばかりでなく、これからは毎日でも暇をみまして、有難い教えをうけたまわりに参りますから、何分よろしく願います。
正吉 是非おいで下さい。お待ち申して居ります。(行きかけて空をみる。)おお、月がまた薄暗くなりました。
おいよ (空をみる。)このごろの癖で、夜はときどきに曇ります。
正吉 今夜はまだ狼の声はきこえませんか。
おいよ (耳を傾けて。)いえ、聞えません。まだ宵でござりますから……。
(薄く風の音。月はいよいよ暗くなる。下のかたより芒をかきわけて田原弥三郎は
前へ 次へ
全25ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング