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おいよ (暗い中で。)おお、あかりが消えた。
[#地から1字上げ]――暗転――
二
おなじ村の川端。よきところに柳の大樹二三本ありて、岸には芦の花が夕闇に白く咲きみだれている。正面は川を隔てて山々みゆ。
(水の音。下のかたより源五郎とお妙、あとより昭全も出づ。)
源五郎 今もいう通りのわけで、一昨日の晩、昭全さんに飛び付いたのは、確におまえの姉さんだと云うのだ。
お妙 内の姉さんが狼のようになって、往来の人に飛び付くなぞと……。そんな事のあろう筈がないので……。(考える。)わたしにはどうしても本当とは思われませんよ。
源五郎 あんまり途方もないことで、おれにも本当とは思われないが……。それでもこの小僧さんは確に本当だというのだ。
昭全 (進みよる。)本当だ、本当だ。たしかに本当だ。わたしは松明の火で確に見たのだ。狼は火を恐れると云うことを聞いているので、わたしは松明をたたき付けて、一生懸命に逃げたのだ。
お妙 その狼の顔が内の姉さんに見えましたか。
昭全 わたしが何で嘘をつくものか。顔も姿もおまえの家《うち》の姉さんに相違なかったのだ。
お妙 まあ。
(お妙はやはり不思議そうに考えている。)
源五郎 (おなじく惑うように。)そうは云っても、自分の眼で確な証拠を見届けないうちは、おれも迂闊《うかつ》に手を出すことは出来ない。万一それが間違いであったら、取返しの付かないことになる。なにしろ弥三郎どのと相談の上でなければならないが、亭主にむかってお前の女房が狼らしいとは、なんぼ何でも云い出しにくい。お前からそっと兄さんに話してみては呉れまいかな。
昭全 まだ疑がっているのか。わたしはこの二つの眼で見たというのに……。
源五郎 お前ひとりが見たというのでは、まだ本当の証拠にはならないのだ。(お妙に。)おまえにも何か思い当るようなことは無いかな。
お妙 さあ。(又かんがえる。)そう云えば、このあいだの朝、姉さんが表の井戸端で……。血の付いたような着物の袖を……。
源五郎 血の付いたような着物の袖を……。井戸ばたで洗っていたのか。
昭全 それ、それが証拠だ。おまえの姉さんは夜なかに家《うち》を抜け出して、往来の人を喰い殺しに行くのだ。それ見ろ。狼だ、狼だ。
源五郎 まあ、まあ、静《しずか》にしろ。狐や狸が人間に化けるとは、昔からもよく云うことだが
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