何人にも自由に読み得られる。単に内地ばかりでなく、朝鮮、満洲、台湾、琉球は勿論、上海、香港、新嘉坡《シンガポール》、印度、布哇《ハワイ》から桑港《サンフランシスコ》、シカゴ、紐育《ニューヨーク》に至るまで、わが同胞の住むところには、総てみな読まれるのである。寒い国の炉のほとりに、熱い国の青葉のかげに、多数の人々を慰め得るものは――勿論、戯曲もその幾分の役目を勤めるであろうが、その大部分は小説または読み物のたぐいでなければならない。筆を執《と》るものは眼前の華やかな仕事にのみ心を奪われて、東京その他の大都会以外にも多数の人々が住んでいることを忘れてはならない。またその大都会に住む人々のうちにも、いわゆるプレイ・ゴーアーなるものは案外に少数であることを記憶しなければならない。
先月初旬に某雑誌から探偵小説の寄稿をたのまれたが、私はなんだか気が進まないので、実はきょうまでそのままにしておいたのである。それを急に書く気になって、わたしは机の上に原稿紙をならべた。耳がまだ少しく痛む。身体にもすこしく熱があるようであるが、私は委細かまわずにペンを走らせて、夕方までに七、八枚を一気に書いた。
あたまの上の電灯が明るくなる頃になっても、表の雪はまだ降りつづけている。私もまだ書きつづけている。信州にも雪が降っているであろうか。T氏の村の人たちは炉を囲んで、今夜は何を読んでいるであろうか。[#地から1字上げ](大正十五年三月)
底本:「岡本綺堂随筆集」岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年10月16日第1刷発行
2008(平成20)年5月23日第4刷発行
底本の親本:「猫やなぎ」岡倉書房
1934(昭和9)年4月初版発行
初出:「新潮」
1933(昭和8)年3月号
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年11月29日作成
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