かなり大きいのがいる。近年はだんだんにその跡を絶ったが、むかしは一丈五尺|乃至《ないし》二丈ぐらいのうわばみが悠々とのたくっていたということである。
その有害無害は別として、誰にでも嫌われるのは蛇である。ここらの人間は子供のときから見馴れているので、他国の者ほどにはそれを嫌いもせず、恐れもしないのであるが、それでも蝮とうわばみだけは恐れずにはいられない。蝮は毒蛇であるから、誰でも恐れるのは当然であるが、しかしここらでは蝮のために命をうしなったとか、不具《かたわ》になったとかいう例は甚だ少ない。むかしから皆その療治法を心得ていて、蝮にかまれたと気が付くとすぐに応急の手当を加えるので、大抵は大難が小難ですむらしい。殊に蝮は紺の匂いを嫌うというので、蝮の多そうな山などへはいるときには紺の脚絆《きゃはん》や紺足袋をはいて、樹の枝の杖などを持って行って、見あたり次第にぶち殺してしまうのである。ほかの土地には蝮捕りとか蛇捕りとかいう一種の職業があるそうであるが、ここらにそんな商売はない。蛇を食う者もない。まむし酒を飲む者もない。ただぶち殺して捨てるだけである。
蝮は山ばかりでなく、里にもたくさん棲んでいるが、馴れている者は手拭をしごいて二つ折りにして、わざとその前に突きつけると、蝮は怒ってたちまちにその手拭にかみつく。その途端にぐいと引くと白髪《しらが》のような蝮の歯は手拭に食い込んだままで、もろくも抜け落ちてしまうのである。毒牙をうしなった蝮は、武器をうしなった軍人と同じことで、その運命はもう知れている。こういうわけであるから、ここらの人間はたとい蝮を恐れるといっても、他国の者ほどには強く恐れていない。かれは一面に危険なものであると認められていながら、また一面には与《くみ》し易きものであると侮られてもいる。蝮が怖いなどというと笑われるくらいである。
しかし、かのうわばみにいたっては、蝮と同日《どうじつ》の論ではない。その強大なるものは家畜を巻き殺して呑む。あるときは、子供を呑むこともある。それを退治するのは非常に困難で、前にいった蝮退治のような手軽の事では済まないのであるから、ここらの人間もうわばみに対してはほんとうに恐れている。その恐怖から生み出された古来の伝説がまたたくさんに残っていて、それがいよいよ彼らの恐怖を募らせているらしい。
それがために、いつの代から始ま
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