わたして帰りました。
母はそのとき少し加減が悪くて、寝たり起きたりしていたのですが、あとでその話を聞いていやな顔をしました。
「あなた、なぜそんな物をまた引取ったのです。」
「引取ったわけじやない。まったく不思議があるかないか、試して見るだけのことだ。」と、父は平気でいました。
以前と違って、わたくしももう十七になっていましたから、ただむやみに怖い怖いばかりでもありませんでしたが、井田さんの死んだことなぞを考えると、やっぱり気味が悪くてなりませんでした。父は以前の通りその仮面を離れの四畳半にかけておいて、夜なかに様子を見にゆくことにしまして、母と二人で八畳の間に床をならべて寝ました。わたくしはもう大きくなっているので、この頃は茶の間の六畳に寝ることにしていました。
旧暦では何日にあたるか知りませんが、その晩は生《なま》あたたかく陰っていて、低い空には弱い星のひかりが二つ三つ洩れていました。おまえ達はかまわず寝てしまえと父は言いましたが、仮面の一件がどうも気になるので、床へはいっても寝付かれません。そのうちに十二時の時計が鳴るのを合図に、次の間に寝ていた父はそっと起きてゆくようですから、わたくしも少し起き返って、じっと耳をすましてうかがっていますと、父は抜足をして庭へ出て、離れの方へ忍んでゆくようです。
そうして四畳半の戸をしずかに開けたかと思う途端に、次の間であっ[#「あっ」に傍点]という母の声がきこえたので、思わず飛び起きて襖をあけて見ましたが、行燈は消えているのでよく判りません。あわてて手探りで火をとぼしますと、母は寝床から半分ほどもからだを這い出させて、畳の上に俯伏《うつぶ》しに倒れていましたが、誰かに髻《たぶさ》をつかんで引摺り出されたように、丸髷がめちゃめちゃにこわれています。わたくしは泣き声をあげて呼びました。
「おっかさん、おっかさん。どうしたんですよ。」
その声におどろいて女中たちも起きて来ました。父も庭口から戻って来ました。水や薬をのませて介抱して、母はやがて正気にかえりましたが、その話によると誰かが不意に母の丸髷を引っ掴んで、ぐいぐいと寝床から引摺り出したということです。
「むむう。」と、父は溜息をつきました。「どうも不思議だ。猿の眼はやっぱり青く光っていた。」
わたくしはまたぞっとしました。
あくる日、父は孝平を呼んでその事を話し
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