ことですから、その後にも広小路をたびたび通りましたが、そんな古道具屋のすがたを再び見かけたことはありませんでした。商売の場所をかえたか、それとも在所へでも引っ込んだかでしょうね。」
御飯が済んでから、父と井田さんは離れへ行って、明るい所で猿の仮面の正体を見届けることになりましたので、母もわたくしも女中たちも怖いもの見たさに、あとからそっと付いて行って遠くから覗いておりますと、父も井田さんも声をそろえて、どうも不思議だ不思議だと言っています。
どうしたのかと訊いてみると、その仮面がどこへか消えてなくなったというのです。井田さんが戸をこじ開けてころげ出してから、夜のあけるまで誰もその離れへ行った者はないのですから、こっちのどさくさまぎれに何者かが忍び込んで盗んで行ったのかとも思われますが、ほかの物はみんな無事で、ただその仮面一つだけが紛失したのは、どうもおかしいと父は首をかしげていました。しかしいくら詮議しても、評議しても、無いものはないのですから、どうも仕方がございません。ただ不思議ふしぎを繰返すばかりで、なんにも判らずじまいになってしまいました。
けさになっても井田さんは、気分がまだほんとうに好くないらしく、蒼い顔をして早々に帰りましたので、父も母も気の毒そうに見送っていました。
それが因《もと》というわけでもないでしょうが、井田さんはその後間もなくぶらぶら病いで床について、その年の十月にとうとういけなくなってしまいました。その辞世の句は、上五文字をわすれましたが「猿の眼に沁む秋の風」というのだったそうで、父はまた考えていました。
「辞世にまで猿の眼を詠むようでは、やっぱり猿の一件が祟《たた》っていたのかも知れない。」
そうは言っても、父は相変らず離れの四畳半に机をひかえて、好きな俳諧に日を送っているうちに、お弟子もだんだんに出来ました。どうにかこうにか一人前の宗匠株になりましたのでございます。
それから三年ほどは無事に済みまして、明治十年、御承知の西南戦争のあった年でございます。その時に父は四十一、わたくしは十七になっておりましたが、その年の三月末に孝平という男がぶらりと尋ねてまいりました。以前は吉原の幇間であったのですが、師匠に破門されて廓《くるわ》にもいられず、今では下谷《したや》で小さい骨董屋のようなことを始め、傍らには昔なじみのお客のところを廻
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