も実に身の毛のよだつ話で、彼はたちまち一面の火焔に包まれてしまった。それを見つけて妹の伊佐子が駈け付けた時はもう遅かった。それでも何とかして揉み消そうと思ったのか、あるいは咄嗟《とっさ》のあいだに何かの決心を据えたのか、伊佐子は燃えている兄のからだを抱えたままで一緒に倒れた。
他の人々がおどろいて駈けつけた時はいよいよ遅かった。兄はもう焼けただれて息がなかった。妹は全身に大火傷《おおやけど》を負って虫の息であった。すぐに医師を呼んで応急手当を加えた上で、ともかくも町の病院へかつぎ込んだが、伊佐子はそれから四時間の後に死んだ。
その凄惨の出来事は前の記事以上に世間をおどろかして、赤座の死因についてはいろいろの想像説が伝えられたが、所詮《しょせん》はかの新聞記事が敬虔《けいけん》なる○○教の講師を殺したということに世間の評判が一致したので、新聞社でもさすがにその軽率を悔んで、半ば謝罪的に講師兄妹の死を悼むような記事を掲げた。それと同時におそらくその社のある者が洩らしたのであろう。かの新聞記事は内田の投書であるという噂がまた世間に伝えられたので、彼も土地にはいたたまれなくなったらしく、自分の勤めている銀行には無断で、一週間ほど以前にどこへか姿を隠した。
「その内田という男の居処はまだ知れませんか。」と、僕は訊いた。
「知れません。」と、それを話した世話役は答えた。「銀行の方には別に不都合はなかったようですから、まったく世間の評判が怖ろしかったのであろうと思われます。」
「内田はいくつぐらいの男ですか。」
「二十八九です。」
「家出をした時には、どんな服装をしていたか判りませんか。」と、僕はまた訊いた。
「銀行から家へ帰らずに、すぐに東京行きの汽車に乗り込んだらしいのですが、銀行を出た時には鼠色の洋服を着て、中折帽子をかぶっていたそうです。」
僕の総身《そうみ》は氷のように冷たくなった。
「そうすると、妙義へ君をたずねて行ったのは、その内田という男なのかね。」
青蛙堂の主人はその話のとぎれるのを待ちかねたようにたずねると、第三の男は大きい溜息をつきながらうなずいた。
「そうだ。僕の話を聴いて、彼の親戚と銀行の者とが僕と一緒に妙義へ来てみると、蝋燭谷の谷底に横たわっていた死体は、たしかに内田に相違ないということが判った。しかし彼がなぜ僕をたずねて来たのか、それは誰に
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