れている平助もおのずと佗しい思いを誘い出されるような夜であった。肌寒いので炉の火を強く焚いて、平助は宵から例の一合の酒をちびりちびりと飲みはじめると、ふだんから下戸だといっている座頭は黙って炉の前に坐っていた。
「あ。」
 座頭はやがて口のうちで言った。それに驚かされて、平助も思わず顔をあげると、小屋の外には何かぴちゃぴちゃいう音が雨のなかにきこえた。
「何かな。魚かな。」と、座頭は言った。
「そうだ。魚だ。」と、平助は起《た》ちあがった。「この雨で水が殖えたので、なにか大きい奴が跳ねあがったと見えるぞ。」
 平助はそこにかけてある蓑《みの》を引っかけて、小さい掬《すく》い網を持って小屋を出ると、外には風まじりの雨が暗く降りしきっているので、いつもほどの水明かりも見えなかったが、その薄暗い岸の上に一|尾《ぴき》の大きい魚の跳ねまわっているのが、おぼろげにうかがわれた。
「ああ、鱸《すずき》だ。こいつは大きいぞ。」
 鱸は強い魚であることを知っているので、平助も用心して抑えにかかったが、魚は予想以上に大きく、どうしても三尺を越えているらしいので、小さい網では所詮《しょせん》掬うことは出来そうもなかった。うっかりすると網を破られるおそれがあるので、彼は網を投げすててその魚をだこうとすると、魚は尾鰭を振って自分の敵を力強く跳ね飛ばしたので、平助は湿《ぬ》れている草にすべって倒れた。
 その物音を聞きつけて座頭も表へ出て来たが、盲目の彼は暗いなかを恐れるはずはなかった。彼は魚の跳ねる音をたよりに探り寄ったかと思うと、難なくそれを取抑えてしまったので、盲人として余りに手際《てぎわ》がよいと、平助はすこし不思議に思いながら、ともかくも大きい魚を小屋の内へかかえ込むと、それは果して鱸であった。鱸の眼には右から左へかけて太い針が突き透されているのを見たときに、平助は何とはなしにぞっとした。魚は半死半生に弱っていた。
「針は魚の眼に刺さっていますか。」と、座頭は訊いた。
「刺さっているよ。」と、平助は答えた。
「刺さりましたか、確かに、眼玉のまん中に……。」
 見えない眼をむき出すようにして、座頭はにやりと笑ったので、平助はまたぞっとした。

     二

 盲人は勘《かん》のよいものである。そのなかでもこの座頭は非常に勘のよいらしいことを平助もかねて承知していたが、今夜の手際《て
前へ 次へ
全128ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング