らない。どこから出て来て、どこへ帰るのか、わざわざそのあとを付けて行った者もないので、誰にもよく判らなかった。ここの渡しは明け六つに始まって、ゆう七つに終る。彼はそのあいだここに立ち暮らして、渡しの止まるのを合図にどこへか消えるように立去ってしまうのである。朝から晩までこうしていても、別に弁当の用意をして来るらしくもみえない。渡し小屋に寝起きをしている平助という爺《じい》さんが余りに気の毒に思って、あるとき大きい握り飯を二つこしらえてやると、その時ばかりは彼も大層よろこんでその一つを旨そうに食った。そうして、その礼だと言って一文銭を平助に出した。もとより礼を貰う料簡もないので、平助はいらないと断ったが、彼は無理に押付けて行った。
 それが例となって、平助の小屋では毎日大きい握り飯を一つこしらえてやると、彼はきっと一文の銭を置いて行く。いくら物価の廉《やす》い時代でも、大きい握り飯ひとつの値が一文では引合わないわけであるが、平助の方では盲人に対する一種の施しと心得て、毎日こころよくその握り飯をこしらえてやるばかりでなく、湯も飲ませてやる、炉の火にもあたらせてやる。こうした親切が彼の胸にもしみたと見えて、ほかの者とはほとんど口をきかない彼も、平助じいさんだけには幾分か打解けて暑さ寒さの挨拶をすることもあった。
 往来のはげしい街道であるから、渡し船は幾艘も出る。しかし他の船頭どもは夕方から皆めいめいの家へ引揚げてしまって、この小屋に寝泊りをしているのは平助じいさんだけであるので、ある時彼は座頭に言った。
「お前さんはどこから来るのか知らないが、眼の不自由な身で毎日往ったり来たりするのは難儀だろう。いっそ、この小屋に泊ることにしたらどうだ。わたしのほかには誰もいないのだから遠慮することはない。」
 座頭はしばらく考えた後に、それではここに泊らせてくれと言った。平助はひとり者であるから、たとい盲目でも話し相手の出来たのを喜んで、その晩から自分の小屋に泊らせて、出来るだけの面倒をみてやることにした。こうして、利根の川端《かわばた》の渡し小屋に、老いたる船頭と身許不明の盲人とが、雨のふる夜も風の吹く夜も一緒に寝起きするようになって、ふたりの間はいよいよ打解けたわけであるが、とかくに無口の座頭はあまり多くは語らなかった。勿論、自分の来歴や目的については、堅く口を閉じていた。平助の
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