ると、かれは更に進み寄って、噂にきけば御貴殿は先日このところにおいて四国遍路の病人を介抱して、その形見として袋入りの笛を受取られたということであるが、その四国遍路はそれがしの仇でござる。それがしは彼の首と彼の所持する笛とを取るために、はるばると尋ねてまいったのであるが、かたきの本人は既に病死したとあれば致し方がない、せめてはその笛だけでも所望いたしたいと存じて、先刻からここにお待ち受け申していたのでござると言った。
藪から棒にこんなことを言いかけられて、弥次右衛門の方でも素直に渡すはずがない。彼は若侍にむかって、お身はいずこのいかなる御仁《ごじん》で、またいかなる子細でかの四国遍路をかたきと怨まれるか、それを承った上でなければ何とも御挨拶は出来ないと答えたが、相手はそれを詳しく説明しないで、なんでもかの笛を渡してくれと遮二無二《しゃにむに》彼に迫るのであった。
こうなると弥次右衛門の方には、いよいよ疑いが起って、彼はこんなことを言いこしらえて大切の笛を騙《かた》り取ろうとするのではあるまいかとも思ったので、お身の素姓、かたき討の子細、それらが確かに判らないかぎりは、決してお渡し申すことは相成らぬと手強くはねつけると、相手の若侍は顔の色を変えた。
この上はそれがしにも覚悟があると言って、彼は刀の柄に手をかけた。問答|無益《むやく》とみて、弥次右衛門も身がまえした。それからふた言三言いい募った後、ふたつの刀が抜きあわされて、素姓の知れない若侍は血みどろになって弥次右衛門の眼のまえに倒れた。
「その笛は貴様に祟るぞ。」
言い終って彼は死んだ。訳もわからずに相手を殺してしまって、弥次右衛門はしばらく夢のような心持であったが、取りあえずその次第を届け出ると、右の通りの事情であるから弥次右衛門に咎めはなく、相手は殺され損で落着《らくちゃく》した。彼に笛をゆずった四国遍路は何者であるか、のちの若侍は何者であるか、勿論それは判らなかった。
相手を斬ったことはまずそれで落着したが、ここに一つの難儀が起った。というのは、この事件が藩中の評判となり、主君の耳にもきこえて、その笛というのを一度みせてくれという上意が下《くだ》ったことである。単に御覧に入れるだけならば別に子細はないが、殿のお部屋さまは笛が好きで、価《あたい》を問わずに良い品を買い入れていることを弥次右衛門はよく知っ
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