所迷惑だ。」と、母も顔をしかめました。「それにしても、あの御新造はなぜそんなことを言うのだろうね。気でも違ったのじゃあないかしら。」
「そうですね。なんだか変ですねえ。」と、わたくしも言いました。まったく正気の沙汰とは思われないからでございます。
「ところが、お仲さんの話では、別に気がおかしいような様子はみえないということです。」と、お富は言いました。「なんでも浅草の方に大層えらい行者《ぎょうじゃ》がありますそうで、御新造はこの間そこへ何かお祷《いの》りを頼みに行って来て、それからコレラになりたいなんて言い出したらしいというのでございます。その行者が何か変なことを言ったのじゃありますまいか。」
「でも、自分がコレラになりたいと言うのはおかしいじゃないか。」
 母はそれを疑っているようでございました。わたくしにもその理屈がよく呑み込めませんでした。いずれにしても、同町内のすぐ近所にコレラになりたいと願っている人が住んでいるなぞというのは、どうも薄気味の悪いことでございます。
「なにしろ、いやだねえ。」と、母は再び顔をしかめていました。
「まったくいやでございます。お仲さんはどうしても今月いっぱいでお暇をもらうと言っておりましたが、御主人が承知しますかしら。」と、お富も不安らしい顔をしていました。
 そのうちに父が風呂から上がってまいりましたので、母からその話をしますと、父はすぐに笑い出しました。
「あの女中は何か自分にしくじりがあって、急に暇を出されるような事になったので、そのごまかしにいい加減なでたらめを言うのだ。嘘ももう少しほんとうらしいことを考えればいいのに……。やっぱり年が若いからな。」
 父は頭から問題にもしないので、話もまずそれぎりになってしまいました。
 成程そういえばそんな事がないとも言われません。自分に落度があって暇を出されても、主人の方が悪いように言い触らすのは奉公人の習いですから、飯田の御新造のコレラ話もどこまでが本当だかわからない。こう思うと、わたくし共もそれについてあまり深く考えないようになりました。

     二

 それから三日目の夕方に、わたくしはお富を連れて新宿の大通りまで買物に出ました。夕方といってもまだ明るい時分で、暑い日の暮れるのを鳴き惜しむような蝉《せみ》の声が、そこらで忙しそうに聞えていました。
 横町をもう五、六間で出ぬ
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