にここらはみな農家で、男も女も働かなければならないのであるから、いかに容貌《きりょう》がよくても、人間が利口でも、一本足の不具者を嫁に貰うものはなさそうである。あたら容貌を持ちながら一生を日かげの花で終るのかと思うと、与市の母や兄ばかりでなく、時どきにたずねてゆく庄兵衛の妻も暗い思いをさせられた。
庄兵衛夫婦には子供がない。かれらが不具の少女を拾いあげたのも、勿論その不幸をあわれむ心から出たには相違ないが、子のない夫婦の子供好きということも半分はまじっていたので、妻は一面に暗い思いをしながらも、また一面にはだんだんに美しく生長してゆくお冬の顔をみるのを楽しみに、時どきに忍んで逢いに行くのであった。そうしていくらかの附金《つけがね》をしてやってもよいから、どこかで嫁に貰ってくれる家はあるまいかなどと、与市の母や兄に相談することもあったが、前にいったような訳であるから、この相談は容易に運びそうもなかった。
こうして、また一年二年と送るうちに、お冬はいよいよ美しい娘盛りとなって、いつも近所の若い男どもの噂にのぼった。中にはいたずら半分にその袖をひく者もあったが、利口なお冬は振向きもしなかった。かれは与市の母や兄を主人とも敬い、親兄弟とも慕って、おとなしくつつましやかに暮らしていた。
慶長十九年、お冬が十八の春には、その大恩人たる大滝庄兵衛の主人の家に、暗い雲が掩いかかって来た。かの大久保相模守忠隣が幕府の命令によって突然に小田原領五万石を召上げられ、あわせて小田原城を破却されたのである。
その子細は知らず、なにしろ青天の霹靂《へきれき》ともいうべきこの出来事に対して、関東一円は動揺したが、とりわけて大久保と縁を組んでいる里見の家では、やみ夜に燈火《ともしび》をうしなったように周章《しゅうしょう》狼狽した。あるいは大久保とおなじ処分をうけて、領地召上げ、お家滅亡、そんなことになるかも知れないという噂がそれからそれと伝えられて、不安の空気が城内にもみなぎった。
庄兵衛もその不安を感じた一人であるらしく、このごろは洲先《すのさき》神社に参詣することになった。洲先は頼朝が石橋山の軍《いくさ》に負けて、安房へ落ちて来たときに初めて上陸したところで、おなじ源氏の流れを汲む里見の家では日ごろ尊崇《そんすう》している神社であるから、庄兵衛がそれに参詣して主家の安泰を祈るのは無理
前へ
次へ
全128ページ中92ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング