。唯のそのそと付いて来るだけのことであるが、何分にも気味がよくない。もちろん、それは張訓の眼にみえるだけで、ほかの者にはなんにも見えないのである。かれも堪らなくなって、ときどきに剣をぬいて斬り払おうとするが、一向に手ごたえがない。ただ自分の前にいたがま[#「がま」に傍点]がうしろに位置をかえ、左にいたのが右に移るに過ぎないので、どうにもこうにもそれを駆逐する方法がなかった。
そのうちに彼らはいろいろの仕事をはじめて来た。張訓が夜寝ていると大きいがま[#「がま」に傍点]がその胸のうえに這いあがって、息が止るかと思うほどに強く押し付けるのである。食卓にむかって飯を食おうとすると、小さい青いがま[#「がま」に傍点]が無数にあらわれて、皿や椀のなかへ片っ端から飛込むのである。それがために夜もおちおちは眠られず、飯も碌々には食えないので、張訓も次第に痩せおとろえて半病人のようになってしまった。それが人の目に立つようにもなったので、かれの親友の羊得というのが心配して、だんだんその事情を聞きただした上で、ある道士をたのんで祈祷を行なってもらったが、やはりその効はみえないで、がま[#「がま」に傍点]は絶えず張訓の周囲に付きまとっていた。
一方、かの闖賊《ちんぞく》は勢いますます猖獗《しょうけつ》になって、都もやがて危いという悲報が続々来るので、忠節のあつい将軍は都へむけて一部隊の援兵を送ることになった。張訓もその部隊のうちに加えられた。病気を申立てて辞退したらよかろうと、羊得はしきりにすすめたが、張訓は肯かずに出発することにした。かれは武人|気質《かたぎ》で、報国の念が強いのと、もう一つには、得体《えたい》も知れないがま[#「がま」に傍点]の怪異に悩まされて、いたずらに死を待つよりも帝城のもとに忠義の死屍を横たえた方が優《ま》しであるとも思ったからであった。かれは生きて再び還らない覚悟で、家のことなども残らず始末して出た。羊得も一緒に出発した。
その一隊は長江を渡って、北へ進んでゆく途中、ある小さい村落に泊ることになったが、人家が少ないので、大部分は野営した。柳の多い村で、張訓も羊得も柳の大樹の下に休息していると、初秋の月のひかりが鮮《あざや》かに鎧の露を照らした。張訓の鎧はかれの妻が将軍の夢まくらに立って、とりかえてもらったものである。そんなことを考えながらうっとりと月を見
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