、S君はまじめな顔に微笑を漂わせながら言った。
「若い支那人が……。」と、僕はすぐに思い出した。「では、家に妖ありと言うのじゃありませんか。」
「そうです。」と、S君はうなずいた。「支那人はしきりに止めたそうですが……。」
「止めたには止めたが、家に妖ありだけでは訳が判らないので、僕たちも取合わなかったのですが、その妖というのはどんな訳なのですかね。」と、僕は訊いた。
「では、その子細は御承知ないのですね。」
「彼はしきりにしゃべるのですが、僕たちは支那語が不十分の上に、相手は満洲なまりが強いと来ているので、なにを言っているのか一向わからないのです。要するに、ここの家には何か怪しいことがあるから泊るなと言うらしいのですが……。」
「そうです、そうです。」と、S君がまたうなずいた。「実はわたしも家に妖ありだけでは、なんのことだかよく判らなかったのです。それに、あなたの言う通り、あの若い支那人は訛りが強くて、わたしにもはっきりとは聴き取れなかったのですが、幸いにその祖父だという老人がいて、それがよく話してくれたので、その妖の子細が初めて判ったのです。」
如才《じょさい》のないT君が茶をこしらえて出すと、S君は、「やあ、御馳走さまです。」と喜んで飲んだ。実際、砂糖を入れた一杯の茶でも、戦地ではたいへんな御馳走である。S君はその茶をすすり終えて例のまじめな口調で「家有妖」の由来を説きはじめた。
夜になっても戦闘は継続しているらしい。天をつんざくような砲弾の音と、豆を煎るような小銃弾のひびきが、前方には遠く近くきこえている。それをよそにして、S君はこの暗い家のなかで妖を説くのである。我れわれ四人も彼を取巻いて、高粱の火の前でその怪談に耳をかたむけた。
三
「ここの家の姓は徐といいます。今から五代前、というと大変に遠い昔話のようですが、四十年ほど前のことだといいますから、日本では元治か慶応の初年、支那では同治三年か四年頃にあたるでしょう。丁度かの長髪賊の洪秀全《こうしゅうぜん》がほろびた頃ですね。」
S君はさすがに支那の歴史をそらんじていて、まずその年代を明らかにした。
「ここの家《うち》も現在は農ですが、その当時は瓦屋であったそうです。自分の家に竈《かまど》を設けて瓦を焼くのです。あまり大きな家ではない。主人と伜ふたりで焼いていた。それへ冬の日の夕方、なん
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