か。さりとて将軍の詞に嘘があろうとは思われない。家へ帰る途中でいろいろ考えてみると、なるほど思い当ることがある。半年前の扇子の時にも、今度の鎧の問題にも、妻はいつでも先を見越したようなことを言って自分を慰めてくれる。それがどうもおかしい。たしかに不思議だ。これは一と詮議しなければならないと、張訓は急いで帰ってくると、妻はその鎧を眼早く見つけてにっこり笑った。
 その可愛らしい笑い顔は鬼とも魔とも変化《へんげ》とも見えないので、張訓はまた迷った。しかし彼のうたがいはまだ解けない。殊に将軍の手前に対しても、なんとかこの解決を付けなければならないと思ったので、かれは妻を一と間《ま》へ呼び込んで、まずその夢の一条を話すと、妻も不思議そうな顔をして聞いていた。そうして、こんなことを言った。
「いつかの扇子のときも、今度の鎧についても、あなたは大層心もちを悪くしておいでのようでしたから、どうかしてお心持の直るようにして上げたいと、わたくしも心から念じていました。その真心が天に通じて、自然にそんな不思議があらわれたのかも知れません。わたくしも自分の念がとどいて嬉しゅうございます。」
 そう言われてみると、夫もその上に踏み込んで詮議の仕様もない。唯わが妻のまごころを感謝するほかはないので、結局その場はうやむやに済んでしまったが、張訓はどうも気が済まない。その後も注意して妻の挙動をうかがっているうちに、前にも言う通りのわけで世の中はだんだんに騒がしくなる。将軍も軍務に忙しいので、張訓の妻のことなどを詮議してもいられなくなった。張訓もまた自分の務めが忙しいので、朝は早く出て、夕はおそく帰る。こうして半月あまりを暮らしていると、五月にはいって梅雨が毎日ふり続く。それも今日はめずらしく午後から小やみになって、夕方には薄青い空の色がみえて来た。
 張訓も今日はめずらしく自分の仕事が早く片付いて、まだ日の暮れ切らないうちに帰ってくると、いつもはすぐに出迎えをする妻がどうしてか姿をみせない。内へはいって庭の方をふとみると、庭の隅には大きい柘榴《ざくろ》の木があって、その花は火の燃えるように紅く咲きみだれている。妻はその花の蔭に身をかがめて、なにか一心にながめているらしいので、張訓はそっと庭に降り立って、ぬき足をして妻のうしろに近寄ると、柘榴の木の下には大きいがま[#「がま」に傍点]が傲然としてう
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