うな若い者の知らないことだ。まあ、黙って見ていろ。
中二 いずれお父さんのことだから、慾の深いことを願ったんでしょう。
李中行 (少しぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]として)え、何……。そんなわけでも無いのだ。
中二 (からかうように。)じゃあ、何を願ったんです。再び清朝の世になるようにとでも祈ったんですか。
李中行 馬鹿をいえ。
中二 それじゃあ百までも長生きをするように……。
李中行 ええ、黙っていろというのに……。今の若い奴等は兎かくに年寄りを馬鹿にしてならない。おれたちの若いときには、神さまの次に年寄りを尊敬したものだ。
中二 お父さん。私は神様よりも年寄りを尊敬しますよ。(笑いながら進みよる。)青蛙神を拝むくらいなら、先《ま》ずあなたを拝みますよ。
李中行 親にからかうな。(押退ける。)町へ出ていると、だんだんに生意気になっていけない。
柳 まあ、そんなことは何《ど》うでもいいから、早くお酒をお始めなさいよ。
李中行 (中二に。)お前は月を拝んだか。
中二 拝みました。
李中行 ほんとうに拝んだか。どうも怪しいぞ。お前はこのごろ嘘つきになったからな。
中二 まあ、そう叱ってばかりいないで、十五夜の御祝儀に一杯頂きましょう。(榻《とう》にかける。)時に妹はどうしたんです。
柳 高田さんを呼びに行ったのさ。
中二 高田さんが来るんですか。そりゃあ話し相手があって好いな。
李中行 おれでは話し相手にならないと云うのか。どこまでも親を馬鹿にする奴だ。(同じく榻にかける。)さあ、青蛙神に供えた酒だ。先ずおれから頂戴して、おまえにも飲ませてやる。
中二 わたしも蝦蟆のお流れ頂戴ですか。これは些《ち》っと嬉しくないな。
李中行 こいつ、まだそんなことを云っているのか。早く酌をしろ。
中二 はい、はい。
(中二は酌をすれば、李は飲み終って中二にさし、柳が酌をして遣る。こうして、父と子はむつまじく飲んでいると、下のかたより高田圭吉は阿香と連れ立ちて出づ。)
阿香 (内に入る。)唯今……。あら、兄さんも来たの。
高田 又お邪魔に出ました。
中二 やあ、いらっしゃい。さあ、こちらへ……。
柳 さあ、おかけなさい。(榻をすすめる。)
中二 (打解けて。)高田さんもお忙がしいんですか。
高田 今のところはそうでも無いんですが、五六日すると夜業が始まると云いますから、又ちっと忙がしくなる
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