ててある古い剣の柄《つか》がしらの上に置いているのであった。ほかにもいろいろの武器が床の上に散らかっている。壁はまったく装飾なく、羽《はね》をひろげた大きいひからびた蝙蝠《こうもり》や、豪猪《やまあらし》の皮や剥製の海毛虫《シーマウス》や、それらが何だか分からないような形になって懸かっている。但《ただ》し、彼はこんな不可思議な妄想に耽っているかと思えば、また一方にはそれとまったく遠く懸け離れたことをも考えているのであった。
かれの心はけっして恍惚たる感情をもって満たされているのではなく、あたかも戸外の暁け方のように、匂いをただよわす微風ともなり、また、あるときは大木を吹きたわませる暴風ともなるのであった。彼は薔薇《ばら》色の眼鏡を透してすべての物を見た。かれが窓から下の町を通る処女《おとめ》をみおろした時、その処女はすべて小説ちゅうの人物ならざるはなく、彼女の影が遠く街路樹のうちに消え去るまで、それを考えつづけているのである。彼が町をあるく時、あたかも小説を読んでいるような心持ちで、そこに起こるいろいろの出来事を興味ある場面として受けいれるのである。そうして、女の美しい声が耳にはいるごとに、彼はエンゼルの翼《つばさ》が自分のたましいを撫でて行くようにも感ずるのである。実際、かれは無言の詩人で、むしろ本当の詩人よりも遙かに空想的で、かつ危険である。すなわちその心に湧くところの泉が外部へ流れ出る口を見いだすことが出来ないで、ますます水嵩《みずかさ》がいやまして、後には漲《みなぎ》りあふれて、その心の内部をそこなうことにもなるからである。
彼はいつも固い寝台に横たわって、何かの物語か詩を読むのである。のちにはその書物を取り落として、空想にふける。そうなると、夢か現《うつつ》か区別がつかない。向うの壁がはっきりとわかってきて、あさ日の光りに明かるくなった時、かれもまた初めて起きあがるのである。そうして、元気旺盛な若い者のあらゆる官能がここに眼ざめてきて、日の暮れるまで自由に読書または遊戯をつづけるのである。昼の大きい瀑布に沈んでいた夜の世界がここにあらわれてくると、彼のこころには星がきらめいて、暗い幻影が再び浮かんでくるのである。しかもそんなことを長く続かせるのはむずかしい。遅かれ早かれ何物かが美しい世界へ踏み込んで来て、迷える魔術師を跪拝《きはい》せしめなければならな
前へ
次へ
全22ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング