「見ろよ。あすこへ行く連中は、ラザルスにお眼を止められたくらいだから、おれ達よりも上手《うわて》の馬鹿者に違いないぜ。」
 かれらは気の毒そうに首を振りながら、腕をあげて、帰る人々に挨拶した。
 ラザルスの家へは、大胆不敵の勇士が物凄い武器を持ったり、苦労を知らない青年たちが笑ったり歌を唄ったりして来た。笏杖《しゃくじょう》を持った僧侶や、金をじゃら付かせている忙がしそうな商人たちも来た。しかもみな帰る時にはまるで違った人のようになっていた。それらの人たちの心には一様に恐ろしい影が飛びかかって来て、見馴れた古い世界に一つの新しい現象をあたえた。
 なおラザルスと話してみたいと思っていた人たちは、こう言って自己の感想を説明していた。
「すべて手に触れ、眼に見える物体は漸次に空虚な、軽い、透明なものに化するもので、謂わば夜の闇に光る影のようなものである。この全宇宙を支持する偉大なる暗黒は、太陽や、月や、星によって駆逐さるることなく、一つの永遠の墓衣のように地球を包み、一人の母のごとくに地球を抱き締めているのである。
 その暗黒がすべての物体、鉄や石の中までも沁み込むと、すべての物体の分子は互いの連絡がゆるんで来て、遂には離れ離れになる。そうして又、その暗黒が更に分子の奥底へ沁み込むと、今度は原子が分離して行く。なんとなれば、この宇宙を取り巻いているところの偉大なる空間は、眼に見えるものによって満たされるものでもなく、また太陽や、月や、星に依っても満たされるものでもない。それは何物にも束縛されずに、あらゆるところに沁み込んで、物体から分子を、分子から原子を分裂させて行くのである。
 この空間に於いては、空虚なる樹木は倒れはしまいかという杞憂《きゆう》のために、空虚なる根を張っている。寺院も、宮殿も、馬も実在しているが、みな空虚である。人間もこの空間のうちに絶えず動いているが、かれらもまた軽く、空虚なること影の如くである。
 なんとなれば、時は虚無であって、すべての物体には始めと同時に終りが接しているのである。建設はなお行なわれているけれども、それと同時に建設者はそれを槌で打ち砕いて行き、次から次へと廃墟となって、再び元の空虚となる。今なお人間は生まれて来るが、それと同時に絶えず葬式の蝋燭は人間の頭上にかがやき、虚無に還元して、その人間と葬式の蝋燭の代りに空間が存在する
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