どうでもよかった。
この上にくわしくこの会合の光景を描写する必要はあるまい。要するに、私たちの会話なるものは、いたずらに大声叱呼《たいせいしっこ》しているが、プロミティウス(古代ギリシャの神話中の人物)であったらば耳もかさずに自分の岩に孔《あな》をあけているであろうし、タンタラス(同じく神話中の人)であったら気が遠くなってしまうであろうし、またイキシイオン(ギリシャ伝説中の人)であったらわれわれの話などを聴くくらいならばオルレンドルフ氏のお説教でも聞いているほうが優《ま》しだと思わざるを得ないくらいに、実に退屈至極のものであった。それにもかかわらず、私たちは数時間もテーブルの前に腰をおろして、疲れ切ったのを我慢して貧乏ゆるぎ一つする者もなかった。
誰かがシガーを注文したので、私たちはその人のほうを見かえった。その人はブリスバーンといって、常に人びとの注目の的《まと》となっているほどに優れた才能を持っている三十五、六の男盛りであった。彼の風采は、割合に背丈《せい》が高いというぐらいのことで、普通の人間の眼には別にどこといって変わったところは見えなかった。その背丈も六フィートより少し高いぐらいで、肩幅がかなり広いぐらいで、たいして強そうにも見えなかったが、注意してみると、たしかに筋肉たくましく、その小さな頭は頑丈な骨組みの頸《くび》によって支えられ、その男性的な手は胡桃《くるみ》割りを持たずとも胡桃を割ることが出来そうであり、横から見ると誰でもその袖幅が馬鹿に広く出来ているのや、並外れて胸の厚いのに気がつかざるを得ないのであった。いわば、彼はちょっと見ただけでは別に強そうでなくして、その実は見掛けよりも遙かに強いという種類の男であった。その顔立ちについてはあまり言う必要もないが、とにかく前にも言ったように、彼の頭は小さくて、髪は薄く、青い眼をして、大きな鼻の下にちょっぴりと口髭《くちひげ》を生やした純然たるユダヤ系の風貌であった。どの人もブリスバーンを知っているので、彼がシガーを取り寄せたときには、みな彼の方を見た。
「不思議なこともあればあるものさ」と、ブリスバーンは口をひらいた。
どの人もみな話をやめてしまった。彼の声はそんなに大きくはなかったが、お座なりの会話を見抜いて、鋭利なナイフでそれを断ち切るような独特の声音《こわね》であった。一座は耳を傾けた。ブリス
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