意そうに言った。
「ときに、ゆうべは馬鹿に寒かったようでしたね。もっとも、あんまり寒いのでほうぼう見まわしたら、窓があいていました。寝床へはいる時には、ちっとも気がつかなかったのですが、お蔭で部屋が湿気《しけ》てしまいました」と、僕は言った。
「しけていましたか。あなたの部屋は何号です」
「百五号です」
すると、僕のほうがむしろ驚かされたほどに、船医はびっくりして僕を見つめた。
「どうしたんですか」と、僕はおだやかに訊《き》いた。
「いや、なんでもありません。ただ最近、三回ほどの航海のあいだに、あの部屋ではみなさんから苦情《くじょう》が出たものですから……」と、船医は答えた。
「わたしも苦情を言いますね。どうもあの部屋は空気の流通が不完全ですよ。あんな所へ入れるなんて、まったくひど過ぎますな」
「実際です。私にはあの部屋には何かあるように思われますがね……。いや、お客さまを怖がらせるのは私の職務ではなかった」
「いや、あなたは私を怖がらせるなどと、ご心配なさらなくてもようござんすよ。なに、少しぐらいの湿気は我慢しますよ。もし風邪でも引いたら、あなたのご厄介《やっかい》になりますから」
こう言いながら、僕は船医にシガーをすすめた。彼はそれを手にすると、よほどの愛煙家とみえて、どこのシガーかを鑑定するように眺めた。
「湿気などは問題ではありません。とにかくあなたのお体に別条ないということはたしかですからな。同室のかたがおありですか」
「ええ。一人いるのです。その先生ときたら、夜なかに戸締りをはずして、扉《ドア》をあけ放しておくという厄介者なのですからね」
船医は再び僕の顔をしげしげと見ていたが、やがて[#「やがて」は底本では「やがで」]シガーを口にくわえた。その顔はなんとなく物思いに沈んでいるらしく見えた。
「で、その人は帰って来ましたか」
「わたしは眠っていましたが、眼をさました時に、先生が寝返りを打つ音を聞きました。それから私は寒くなったので、窓をしめてからまた寝てしまいましたが、けさ見ますと、その窓はあいているじゃありませんか……」
船医は静かに言った。
「まあ、お聴きなさい。私はもうこの船の評判なぞはかまっていられません。これから私のすることをあなたにお話し申しておきましょう。あなたはどういうおかたか、ちっとも知りませんが、私は相当に広い部屋をここの上に
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