しく、児戯《じぎ》にひとしく、女らしくもなかった。私は、彼女を大いに責めてもいいと思っている。それにもかかわらず、時どきに熱に浮かされたような、眠られない闇の夜などには、自分はだんだんに彼女に好意を持って来たのではないか、というようなことを思い始めた。しかし、それも確かに一つの「幻想」である。私はもう彼女を愛することが出来ないのに、愛するようなふうを続けていることは出来なかった。そんなことが出来るであろうか。第一、そんなことは私たちお互いにとって正しいことではなかった。
去年また私たちは逢った。――前の年と同じ時期である。そうして、前年とおなじように彼女は飽きあきするような歎願をくりかえし、私もまた例のごとくに情《すげ》ない返事をした。そうして、古い関係を回復しようとする彼女の努力がいかに間違っているか、またいかに徒労であるかを彼女に考えさせようとした。
シーズンが終わると、私たちは別れた。――言いかえれば、彼女はもうとても私と逢うことは出来ないと覚《さと》った。というのは、私が他に心を奪われることが出来《しゅったい》していたからである。わたしは今、自分の病室で静かにあの当時のことを回想していると、一八八四年のあのシーズンのことどもが異様に明暗入り乱れて、渾沌《こんとん》たる悪夢のように見えてくる。
――可愛いキッティ・マンネリングのご機嫌とり、わたしの希望、疑惑、恐怖、キッティと二人での遠乗り、身をおののかせながらの恋の告白、彼女の返事、それから時どきに黒と白の法被《はっぴ》を着た苦力《クーリー》の人力車に乗って、静かに通ってゆく白い顔の幻影、ウェッシントン夫人の手袋をはめた手、それから極めて稀《まれ》ではあったが、夫人とわたしと二人ぎりで逢ったときの彼女の歎願のもどかしい単調――。
わたしはキッティ・マンネリングを愛していた。実に心から彼女を愛していた。そうして、私が彼女を愛すれば愛するほど、アグネスに対する嫌厭の念はいよいよ増していった。八月にキッティと私とは婚約を結んだ。その次の日に、私はジャッコのうしろで呪うべき饒舌家の苦力らに逢った時、ちょっとした一時的の憐憫の情に駆られて、ウェッシントン夫人にすべてのことを打ち明けるのをやめてしまったが、彼女はわたしの婚約のことをすでに知っていた。
「ねえ、あなたは婚約をなすったそうですね、ジャック」と言ってから、彼女は息もつかずに、「何もかも思い違いです。まったく思い違いです。いつか私たちはまた元のように仲よしのお友達になるでしょう。ねえ、ジャック」と言った。
わたしの返事は男子すらも畏縮させたに違いなかった。それは鞭《むち》のひと打ちのように、私の眼前にある瀕死《ひんし》の女のこころを傷《いた》めた。
「どうぞ私を忘れないでください。ね、ジャック。わたしはあなたを怒らせるつもりではなかったのです。しかし本当に怒らせてしまったのね、本当に……」
そう言ったかと思うと、ウェッシントン夫人はまったく倒れてしまった。わたしは彼女を心静かに家に帰らせるために、そのまま顔をそむけて立ち去ったが、すぐに自分は言い知れぬ下品な卑劣漢であったことを感じた。私はあとを振り返ると、彼女が人力車を引き返さしているのを見た。
そのときの情景と周囲のありさまは私の記憶に焼き付けられてしまった。雨に洗いきよめられた大空(あたかも雨期の終わるころであったので)、濡れて黒ずんだ松、ぬかるみの道、火薬で削り取ったどす[#「どす」に傍点]黒い崖、こういったものが一つの陰鬱な背景を形づくって、その前に苦力らの黒と白の法被や黄いろい鏡板のついたウェッシントン夫人の人力車と、その内でうなだれている彼女の金髪とがくっきりと浮き出していた。彼女は左手にハンカチーフを持って、人力車の蒲団にもたれながら失神したようになっていた。わたしは自分の馬をサンジョリー貯水場のほとりの抜け道へ向けると、文字通りに馬を飛ばした。
「ジャック!」と、彼女が微《かす》かにひと声叫んだのを耳にしたような気がしたが、あるいは単なる錯覚かもしれなかった。わたしは馬をとめて、それをたしかめようとはしなかった。それから十分の後、わたしはキッティが馬に乗って来るのに出逢ったので、二人で長いあいだ馬を走らせて、さんざん楽しんでいるうちに、ウェッシントン夫人との会合のことなどはすっかり忘れてしまった。
一週間ののちに、ウェッシントン夫人は死んだ。
二
夫人が死んだので、彼女が存在しているという一種の重荷がわたしの一生から取り除かれた。わたしは非常な幸福感に胸をおどらせながらプレンスワードへ行って、そこで三ヵ月間をおくっているうちに、ウェッシントン夫人のことなどは全然忘れ去った。ただ時どきに彼女の古い手紙を発見して、私たちの過去の関係が自分の頭に浮かんでくるのが不愉快であった。正月のうちにわたしは種《しゅ》じゅの場所に入れておいた私たちの手紙の残りを探し出して、ことごとく焼き捨てた。
その年、すなわち一八八五年の四月の初めには、私はシムラにいた。――ほとんど人のいないシムラで、もう一度キッティと深い恋を語り、また、そぞろ歩きなどをした。私たちは六月の終わりに結婚することに決まっていた。したがって、当時印度における一番の果報者であると自ら公言している際、しかも私のようにキッティを愛している場合、あまり多く口がきけなかったということは、諸君にも納得《なっとく》できるであろう。
それから十四日間というものは、毎日まいにち空《くう》に過ごした。それから、私たちのような事情にある人間が誰でもいだくような感情に駆られて、私はキッティのところへ手紙を出して、婚約の指環というものは許嫁《いいなずけ》の娘としてその品格を保つべき有形的の標《しるし》であるから、その指環の寸法を取るために、すぐにハミルトンの店まで来るようにと言ってやった。実をいうと、婚約の指環などということは極めてつまらないことであるので、私はこのときまで忘れていたのである。そこで、一八八五年の四月十五日に私たちは、ハミルトンの店へ行った。
この点をどうか頭においてもらいたいのだが――たとい医者がどんなに反対なことを言おうとも――その当時のわたしは全くの健康状態であって、均衡を失わない理性と絶対に冷静な心とを持っていた。キッティと私とは一緒にハミルトンの店へはいって、店員がにやにや笑っているのもかまわず、自分でキッティの指の太さを計ってしまった。指環はサファイヤにダイヤが二つはいっていた。わたしたちはそれからコムバーメア橋とペリティの店へゆく坂道を馬に乗って降りて行った。
あらい泥板岩《シェール》の上を用心ぶかく進んでゆく私の馬のそばで、キッティが笑ったり、おしゃべりをしたりしている折りから――ちょうど平原のうちに、かのシムラが図書閲覧室やペリティの店の露台《バルコニー》に囲まれながら見えてきた折りから――私はずっと遠くのほうで誰かが私の洗礼名《クリスチャンネーム》を呼んでいるのに気がついた。かつて聞いたことのある声だなと直感したが、さていつどこで聞いたのか、すぐには頭に浮かんでこなかった。ほんのわずかのあいだ、その声は今まで来た小路とコムバーメア橋との間の道いっぱいに響き渡ったので、七、八人の者がこんな乱暴な真似をしているのだと思ったが、結局それは私の名を呼んでいるのではなくて、何か歌を唄っているに相違ないと考えた。
そのとき、たちまちにペリティの店の向う側を黒と白の法被《はっぴ》を着た四人の苦力《クーリー》が、黄いろい鏡板の安っぽい出来合い物の人力車を挽《ひ》いて来るのに気がついた。そうして、懊悩《おうのう》と嫌悪《けんお》の念を持って、わたしは去年のシーズンのことや、ウェッシントン夫人のことを思い出した。
それにしても、彼女はもう死んでしまって、用は済んでいるはずである。なにも黒と白の法被を着た苦力をつれて、白昼の幸福を妨げにこなくてもいいわけではないか。それで私は、まずあの苦力らの雇いぬしが誰であろうと、その人に訴えて、彼女の苦力の着ていた法被を取り替えるように懇願してみようと思った。あるいはまた、わたし自身がかの苦力を雇い入れて、もし必要ならばかれらの法被を買い取ろうと思った。とにかくに、この苦力らの風采がどんなに好ましからぬ記憶の流れを喚起《かんき》したかは、とても言葉に言い尽くせないのである。
「キッティ」と、私は叫んだ。「あすこに死んだウェッシントン夫人の苦力がやって来ましたよ。いったい、今の雇いぬしは誰なんでしょうね」
キッティは前のシーズンにウェッシントン夫人とちょっと逢ったことがあって、蒼ざめている彼女については常に好奇心を持っていた。
「なんですって……。どこに……」と、キッティは訊いた。「わたしにはどこにもそんな苦力は見えませんわ」
彼女がこう言った刹那《せつな》、その馬は荷を積んだ驢馬《ろば》を避けようとしたはずみに、ちょうどこっちへ進行して来た人力車と真向かいになった。私はあっ[#「あっ」に傍点]と声をかける間もないうちに、ここに驚くべきは、彼女とその馬とが苦力の車を突きぬけて通ったことである。苦力も車もその形はみえながら、あたかも稀薄なる空気に過ぎないようであった。
「どうしたというんです」と、キッティは叫んだ、「何をつまらないことを呶鳴《どな》っているんです。わたしは婚約をしたからといって、別に人間が変わったわけでもないんですよ。驢馬と露台との間にこんなに場所があったのね。あなたはわたしが馬に乗れないとお思いなんでしょう。では、見ていらっしゃい」
強情なキッティはその優美な小さい頭を空中に飛び上がらせながら、音楽堂の方向へ馬を駈けさせた。あとで彼女自身も言っていたが、馬を駈けさせながらも、私があとからついて来るものだとばかり思っていたそうである。ところが、どうしたというのであろう。私はついてゆかなかった。私はまるで気違いか酔っ払いのようになっていたのか、あるいはシムラに悪魔が現われたのか、わたしは自分の馬の手綱を引き締めて、ぐるりと向きを変えると、例の人力車もやはり向きを変えて、コムバーメア橋の左側の欄干に近いところで私のすぐ目の前に立ちふさがった。
「ジャック。私の愛するジャック!」(その時の言葉はたしかにこうであった。それらの言葉は、わたしの耳のそばで呶鳴り立てられたように、わたしの頭に鳴りひびいた。)「何か思い違いしているのです。まったくそうです。どうぞ私を堪忍《かんにん》してください、ジャック。そしてまたお友達になりましょう」
人力車の幌《ほろ》がうしろへ落ちると、わたしが夜になると怖がるくせに毎日考えていた死そのもののように、その内にはケイス・ウェッシントン夫人がハンカチーフを片手に持って、金髪の頭《かしら》を胸のところまで垂れて坐っていた。
どのくらいの間、わたしは身動きもしないでじいっと見つめていたか、自分にも分からなかったが、しまいに馬丁が私の馬の手綱をつかんで、病気ではないかと訊《き》いたので、ようようわれにかえったのである。私は馬からころげ落ちんばかりに、ほとんど失神したようになってペリティの店へ飛び込んで、シェリー・ブランデイを一杯飲んだ。
店の内には二組か三組の客がカフェーのテーブルをかこんで、その日の出来事を論じていた。この場合、かれらの愚にもつかない話のほうが、私には宗教の慰藉《いしゃ》などよりも大いなる慰藉になるので、一も二もなくその会話の渦中に投じて、喋《しゃ》べったり、笑ったり、鏡のなかへ死骸のように青くゆがんで映った人の顔にふざけたりしたので、三、四人の男はあきれてわたしの態度をながめていたが、結局、あまりにブランデイを飲み過ぎたせいだろうと思ったらしく、いい加減にあしらって私を除《の》け者にしようとしたが、私は動かなかった。なぜといって、そのときの私は、日が暮れて怖くなったので夕飯の仲間へ飛び込んでくる子供のように、自分の仲間が欲しかったからであった。
それから私は
前へ
次へ
全6ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング