と、談笑しながら先日のように、ショタ・シムラの道に沿って馬をゆるやかに進めていった。
私はサンジョリー貯水場に行って、自分はもう幽霊に襲われないという自信をたしかめるために馬を急がせた。私たちの馬はよく走ったにもかかわらず、わたしの逸《はや》る心には遅くて遅くてたまらなかった。キッティは私の乱暴なのにびっくりしていた。
「どうしたの、ジャック」と、とうとう彼女は叫んだ。「まるでだだっ児《こ》のようね。どうしようというんです」
ちょうど私たちが尼寺の下へ来た時、わたしの馬が路から跳《おど》り出ようとしたのを、そのままにひと鞭《むち》あてて、路を突っ切って一目散に走らせた。
「なんでもありませんよ」と、私は答えた。「ただこれだけのことです。あなただって一週間も家にいたままでなんにもしなかったら、私のようにこんなに乱暴になりますよ」
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上上の機嫌で囁《ささや》き、歌い、
生きている身を楽しまん。
造化《ぞうか》の神よ、現世の神よ、
五官を統《すべ》る神様よ。
[#ここで字下げ終わり]
まだ私の歌い終わらないうちに、私たちは尼寺の上の角をまわって、さらに三、四ヤード行くと、サンジョリーが眼の前に見えた。平坦な道のまん中に黒と白の法被と、ウェッシントン夫人の乗っている黄いろい鏡板の人力車が立ちふさがっているではないか。私は思わず手綱を引いて、眼をこすって、じっと見つめて、たしかに幽霊に相違ないと思ったが、それからさきは覚えない。ただ道の上に顔を伏せて倒れている自分のそばに、キッティが涙を流しながらひざまずいているのに気がついただけであった。
「もう行ってしまいましたか」と、わたしは喘《あえ》いだ。
キッティはますます泣くばかりであった。
「行ってしまったとは……。何がです……。ジャック、いったいどうしたの。何か思い違いをしているんじゃないの。ジャック、まったく思い違いよ」
彼女の最後の言葉を耳にすると、私はぎょっとして立ち上がった。――気が狂って――しばらくのあいだ囈語《うわこと》のようにしゃべり出した。
「そうです、何かの思い違いです」と、私はくりかえした。「まったく思い違いです。さあ、幽霊を見に行きましょう」
私はキッティの腰を抱えるようにして、幽霊の立っている所まで彼女を引っ張って行って、どうか幽霊に話しかけさせてくれと哀願した。
それから、自分たち二人は婚約の間柄であるから、死んで地獄でも二人のあいだの絆《きずな》を断ち切ることは出来ないぞと幽霊に話したことだけは、自分でも明瞭に記憶しているし、自分よりも更にキッティのほうがよく知っている。私は夢中になって、人力車のうちの恐ろしい人物にむかって、自分の言ったことはみな事実であるから、今後自分を殺すような苦悩《くるしみ》をゆるしてくれと、くりかえして訴えた。今になって思えば、それは幽霊に話しかけていたというよりも、ウェッシントン夫人と自分との古い関係をキッティに打ち明けたようなものであったかもしれない。真っ白な顔をして眼を光らせながら、その話にキッティが一心に耳を傾けていたのを私は見た。
「どうもありがとう、パンセイさん」と、キッティは言った。「もうたくさんです。わたしの馬を連れておいで」
東洋人らしい落ちついた馬丁が、勝手に走って行った馬を連れ戻して来ると、キッティは鞍《くら》に飛び乗った。私は彼女をしっかりと押さえて、私の言うことをよく聞いて、わたしを免《ゆる》してもらいたいと切願すると、彼女はわたしの口から眼へかけて鞭で打った。そうして、ひと言ふた言の別れの言葉を残したままで行ってしまった。
その別れの言葉――私は今もって書くに忍びない。私はいろいろに判断した結果、彼女は何もかも知ってしまったということが一番正しい解釈であると思った。わたしは人力車のほうへよろめきながら行った。私の顔にはキッティの鞭の跡がなまなましく紫色になって血が流れていた。私はもう自尊心も何もなくなってしまった。ちょうどその時、多分キッティと私のあとを遠くからついて来たのであろう、ヘザーレッグが馬を飛ばして来た。
「先生」と、私は自分の顔を指さしながら言った。「ここにマンネリング嬢からの破談通知の印《しるし》があります。……十万ルピーはすぐにいただけるのでしょうね」
ヘザーレッグ先生の顔を見ると、こうした卑《いや》しむべき不幸の場合にもかかわらず、わたしは冗談を言う余裕が出てきた。
「わたしは医者としての名誉に賭けても……」
「冗談ですよ」と、わたしは言った。「それよりも、私は一生の幸福を失ってしまったのですから、私を家へ連れて行ってください」
私がこんなことを話している間に、例の人力車は消えてしまった。それから私はまったく意識を失って、ただ、ジャッコの峰がふ
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