いろに考えを立て直してみたが、結局それは徒労と絶望に終わった。あの声はどうしても妖怪変化の声とは考えられなかった。最初、私はすべてをキッティに打ち明けた上で、その場で彼女に結婚するように哀願して、彼女の抱擁によって人力車の幻影を防ごうと考えた。「畢竟《ひっきょう》」と、私は自分に反駁《はんばく》した。
「人力車の幻影などは、人間に怪談的錯覚性があることを説明するに過ぎない。男や女の幽霊を見るということはあり得るかもしれないが、人力車や苦力の幽霊を見るなどという、そんなばかばかしいことがあってたまるものか。まあ、丘に住む人間の幽霊とでもいうのだろう」
次の朝、わたしはきのう午後における自分の常軌を逸した行為を寛恕《ゆる》してくれるようにと、キッティのところへ謝罪の手紙を送った。しかも私の女神はまだ怒っていたので、私が自身に出頭して謝罪しなければならない破目《はめ》になった。私はゆうべ徹夜で、自分の失策について考えていたので、消化不良から来た急性の心悸亢進《しんきこうしん》のためにとんだ失礼をしましたと、まことしやかに弁解したので、キッティのご機嫌も直って、その日の午後に二人はまた馬の轡《くつわ》をならべて外出したが、私の最初の嘘は、やはり二人の心になんとなく溝《みぞ》を作ってしまった。
彼女はしきりにジャッコのまわりを馬で廻りたいと言ったが、私はゆうべ以来まだぼんやりしている頭で、それに弱く反対して、オブザーバトリーの丘か、ジュトーか、ボイルローグング街道を行こうと言い出すと、それがまたキッティの怒りに触れてしまったので、私はこの以上の誤解を招いては大変だと思って、その言うがままにショタ・シムラの方角へむかった。
私たちは道の大部分を歩いて、それから尼寺の下の一マイルばかりは馬をゆるく走らせて、サンジョリー貯水場のほとりの平坦なひとすじ道に出るのが習慣になっていた。ややもすれば質《たち》の悪い私たちの馬は駈け出そうとするので、坂道の上に近づくと、わたしの心臓の動悸はいよいよ激しくなってきた。この午後から私の心は、ウェッシントン夫人のことで常にいっぱいになっていたので、ジャッコの道の到る所が、その昔ウェッシントン夫人と二人で歩いたり、話したりして通ったことを私に思い出させた。思い出は路ばたの石ころにも満ちている。雨に水量《みずかさ》を増した早瀬も不倫の物語を笑うよ
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