記念にもなると思うようになったからであった。
私は前に、ヴィール夫人がバーグレーヴ夫人にむかって、自分の妹とその夫がロンドンから自分に逢いに来ていると言っていたことを、あなたに話しておかなければならなかった。その時にも、バーグレーヴ夫人が「なぜ今が今、そんなにいろいろのことを整理しなければならないのですか」と訊《き》くと、「でも、そうしなければならないのですもの」と、ヴィール夫人は答えている。
果たして彼女の妹夫婦は彼女に逢いに来て、ちょうど彼女が息を引き取ろうというときに、ドーバーの町へ着いたのであった。
話はまた前に戻るが、バーグレーヴ夫人はヴィール夫人にお茶を飲むかと訊くと、彼女は「飲んでもいいのですが、あの気違い(バーグレーヴ夫人の夫をいう)が、あなたの道具をこわしてしまったでしょうね」と言った。そこで、バーグレーヴ夫人は「私はまだお茶を飲むぐらいの道具はあります」と答えたが、彼女はやはりそれを辞退して、「お茶などはどうでもいいではありませんか。打っちゃっておいてください」と言ったので、そのままになってしまった。
私がバーグレーヴ夫人と数時間むかい合って坐っている間、彼女はヴィール夫人の言ったうちで今までに思い出せなかった言葉はないかと、一生懸命に考えていた結果、ただ一つ重要なことを思い出した。それはブレトン老人がヴィール夫人に毎年十ポンドずつを給与していてくれたという秘密で、彼女自身もヴィール夫人に言われるまでは全然知らなかった。
バーグレーヴ夫人はこの物語に手加減を加えるようなことは絶対にしなかったが、彼女からこの物語を聞くと、亡霊の実在性を疑っている人間や、少なくとも幽霊などと馬鹿にしている連中も迷ってしまった。ヴィール夫人が彼女の家へ訪ねて来たとき、隣りの家の召仕《めしつか》いはバーグレーヴ夫人が誰かと話しているのを庭越しに聞いていた。そうして、彼女はヴィール夫人と別れると、すぐに一軒置いて隣りの家へ行って、昔の友達と夢中になって話していたと言って、その会話の内容までを詳しく語って聞かせた。それから不思議なことには、この事件が起こる前に、バーグレーヴ夫人は死に関するドレリンコートの著書をちょうどに買っておいた。それからまた、こういうことに注目しなければならない。すなわちバーグレーヴ夫人は心身ともに非常に疲れているにもかかわらず、それを我慢し
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