えも見いだされなかった。してみると、Fをおびやかしたものは、それが何物であろうとも、わたしの寝室を通って進入したのであろうか。わたしは内部の部屋のドアに錠をおろして、何か来るかと待ち構えながら、爐の前に立っていた。
このとき私は壁の隅に犬の滑《のめ》り込んでいるのを見た。犬は無理にそこから逃げ路を見つけようとするように、からだを壁に押しつけているので、わたしは近寄って呼んだ。
哀れなる動物はひどい恐怖に襲われているらしく、歯をむき出して、顎《あご》からよだれを垂らして、わたしが迂濶《うかつ》にさわったらばすぐに咬《か》みつきそうな様子で、主人のわたしをも知らないように見えた。動物園で大蛇《だいじゃ》に呑まれようとする兎のふるえてすくんだ様子を見たことのある人には、誰でも想像ができるに相違ない。わたしの犬の姿はあたかもそれと同様であった。いろいろに宥《なだ》めても賺《すか》しても無駄であるばかりか、恐水病にでも罹《かか》っているようなこの犬に咬みつかれて、なにかの毒にでも感じてはならないと思ったので、わたしはかれを打ち捨てて、爐のそばのテーブルの上に武器を置いて、椅子に腰をおろして再
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