でそんなことを言っているのを見ると、おそらく発狂でもしているのではないかと疑っていると、相手はまた冷やかに言った。
「わたくしはこれから警察へ行くんですよ。」
「なにしに行くんです。」
「だって、あなた。人間ひとりを殺して平気でもいられますまい。」
相手もおちついているだけに、僕はだんだんに薄気味わるくなって来た。どうしてもこの女は気違いらしい。不意に白い歯をむき出して僕に飛びかかってくるようなことがないとも限らないと思ったが、今さら逃げ出すことも出来ないので、僕はよほど警戒しながら一緒にあるいた。こう言ったら、臆病とか弱虫だと笑うかも知れないが、人通りの絶えた田舎路をこんな女と道連れになって行くのは決して愉快なものではない。せめて月明かりでもあるといいのだが、あいにくに今夜は闇だ。
「じゃあ、あなたはほんとうに市野君を殺したんですか。」と、僕は念を押して訊いてみた。
「剃刀《かみそり》で喉を突いて、川のなかへ突き落したんですから、たしかに死んでいると思います。わたくしはこれから警察へ自首しに行くんです。」
「冗談でしょう。」と、僕は大いに勇気を出したつもりで、わざとらしく笑った。
「知らないかたは冗談だと仰しゃるかも知れませんけれど、それが冗談かほんとうか、あしたになれば判ります。わたくしは市野という男を殺すために、今度故郷へ帰ってくるようになったのかも知れません。」
僕は又ぎょっとした。
「あなたはなんにも御存じないでしょうから、だしぬけにこんなことを言うと、定めて冗談か、それとも気でも違っているかとお思いなさるでしょうが……。」と、相手はこっちの肚《はら》のなかを見透したようにまた言った。「けれども、それはほんとうのことなんです。このあいだ、兄と一緒にお帰りになったそうですが、そのときに兄がわたくしのことについて、なにかお話をしましたか。」
「はあ、少しばかり聞きました。あなたは門司の方に行っていたそうで……。」と、僕も正直に答えた。
女はすこし考えているらしかったが、やがてまたしずかに話し出した。
「あの市野という男は、わたくしに取っては一生のかたきなんです。殺すのも無理はないでしょう。」
僕はだまって聞いていた。
四
路ばたの草むらから蛍が一匹とび出して、どこへか消えるように流れて行った。ここらの蛍は大きい。それでも秋の影のうすく痩
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