に飛んで出て、中間や下女を呼び起すまでもなく、自分で門を明けにゆくと、細かい雨がはらはら顔を撲《う》った。暗い門の外には奥野と藤次郎が立っていた。
藤次郎はまず奥野の門をたたいて、それから二人で連れ立って来たものらしい。秋山はすぐに彼らを奥へ通すと、奥野は急いで口を切った。
「どうも案外な事件が起りました。」
「どうした。やっぱり柳島の一件か。」と、秋山もすこしく胸を跳らせながら訊いた。
「そうでございます。」と、藤次郎が入れ代って答えた。「奥野の旦那がお引揚げになってから、わたくしは亀屋のそばの柳屋という家に張込んでいました、伊八の奴はそこへたびたび飲みに行くことを聞いたからです。おとといもきのうも来なかったから、今夜あたりは来るだろうというので、わたくしも客のつもりで小座敷に飲んでいました。亀屋は二階屋ですが、柳屋は平屋《ひらや》ですから、表の見えるところに陣取っていると、もう五つ(午後八時)頃でしたろうか、頬かむりをした一人の男が柳屋の店の方へぶらぶらやって来ました。どうも伊八らしいと思って家の女中にきいて見ると、たしかにそうだと言うので、油断なく見張っていると、伊八は柳屋の前まで来たかと思うと、又ふらふらと引っ返して行きます。こいつおれの張込んでいるのを覚ったのかと、わたくしも直ぐに起《た》ち上がって表をのぞくと、近所の亀屋の店口からも一人の女が出て来ました。その女はお園らしいと見ていると、伊八とその女は黙って歩き出しました。」
言いかけて、彼は頭をかいた。
「旦那方の前ですが、ここでわたくしは飛んだドジを組《く》んでしまって、まことに面目次第もございません。それから私が直ぐに跡をつけて行けばよかったのですが、柳屋は今夜が初めてで、わたくしの顔を識らねえ家ですから、むやみに飛び出して食い逃げだと思われるのも癪にさわるから、急いで勘定を払って出ると、あいにく又、日和下駄《ひよりげた》の鼻緒が切れてしまいました。」
秋山は笑いもしないで聴いていると、藤次郎はいよいよ極りが悪そうに言った。
「さあ、困った。仕方がねえから柳屋へまた引っ返して、草履を貸してくれというと、むこうでは気を利かしたつもりで日和下駄を出してくれる。いや、雨あがりでも草履の方がいいという。そんな押問答に暇をつぶして、いよいよ草履を突っかけて出ると、これがまた鼻緒がゆるんでいて、馬鹿に歩き
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