。透さんが台湾へ行って蛇に殺されるというのは……。学校を出たときに、北海道と台湾とに奉職口があって、桐沢さんは北海道の方へ行ったら好かろうと勧めたのだそうですが、本人はどうしても台湾へ行くと言って出かけたので……。もし北海道へ行っていれば、そんな事にもならなかったのでしょうに……。どう考えても、なにかの因縁がありそうですね。」
「そう言えば、まったくそうです。」と、わたしも溜息まじりに答えた。「そうして、多代子さんの方はどうしました。」
「多代子さんは無事です。あの人は幸福でしょう。」
奥さんの話によると、多代子は学校を出ると間もなく、桐沢氏の媒妁《ばいしゃく》で、現在の夫の深見氏方へ縁付いたのである。深見氏は養子で、その実家が広島県のKの町にあることは世間でも知っているのであるから、関係者一同が知らない筈はない。Kの町の蛇がFの町へゆく――その汽車ちゅうの出来事をわたしから聞かされているので、深見氏がKの町の出身であるということに就いて、奥さんは何だか気が進まないように思ったそうであるが、先生は頭からそんなことを問題にしなかった。三好家にも異存はなかった。兄の透も反対しなかった。それでも、奥さんは多代子にむかって暗《あん》に注意をあたえた。
「ほかの事とは違いますから、あなたの気に済まないような事があるならば、遠慮なくお言いなさいよ。」
「いいえ、皆さんが好いと思召《おぼしめ》すなら、わたしも参りたいと思います。」
むしろ本人も気乗りがしているような風で、この縁談は故障なく進行したのであった。結婚後の多代子は幸福であるらしく、精神的にも物質的にも彼女は大いに恵まれているらしいので、奥さんもまず安心しているとの事であった。
その話を聞かされて、わたしの胸も又すこし明るくなった。
「そうすると、何かの呪詛――もし果たして何かの呪詛があったとすれば、それは透君ひとりにとどまっていることで、多代子さんはその傍杖《そばづえ》を食っていたのかも知れませんね。」と、わたしは笑った。
「そうかも知れません。」と、奥さんもほほえんだ。「それにしても、こんなお話があるのですよ。大正の世のなかに、こんなことを言ったらお笑いになるかも知れませんけど……。」
奥さんは又話し出した。桐沢氏と三好家とは昔からの知合いで、われわれが想像している通り、桐沢氏は三好家の秘密を薄々承知していながら、今日まで誰にも洩らさなかったのである。ところが、その次男の次郎君が大学卒業の文学士となり、さらに先生のお嬢さんの婿となり、この江波家の人となるに及んで、その秘密が次郎君の口から奥さんに洩らされた。
次郎君も勿論くわしいことは知らないのであるが、足利時代の遠い昔、三好家はその土地における豪族であって、なにかの事情からKの土地に住む豪族の森戸家へ夜討ちをかけて、その一家を攻めほろぼした。その後、森戸家の遺族とか残党とかいう者どもが手をかえ、品をかえて、徳川の初期に至るまで約五十年の間、根《こん》よく復讐を企てたが、用心のいい三好家では一々それを返り討にして、結局かれらを根絶《ねだ》やしにしてしまった。女子供までも亡ぼし尽くした。その以来、一種の怪しい呪詛が三好家に付きまとって、代々の家族が蛇に祟られるというのである。
三好家は関ヶ原の合戦以後、武士をやめ普通の農家となったが、その祟りはやはり消え去らないので、元禄時代の当主がその地所内に一つの祠《ほこら》を作って、呪詛の蛇を祀《まつ》ることにした。森戸家のほろびたのは三月二十日であるので、毎月の二十日には供物《くもつ》をささげ、家族一同がその祠に参拝するのを例としていた。そのためか、家にまつわる怪しい呪詛も久しく其の跡を断ったのであるが、明治の後はそんな迷信も打破《だは》されてしまった。古い祠も先代の主人のために取毀された。
次郎君の知っているのは、それだけの伝説に過ぎないのであって、まだ其他にも何かの事情があるのかも知れない。いずれにしても、そんな迷信じみた伝説がほとんど何人《なんぴと》にも忘れられてしまった明治時代の末期から、前に言ったような種々の不思議(?)が再び現われて来たのである。三好家では勿論かくしているが、しばしば怪しい蛇に見舞われて、何かの迷惑と恐怖とを感ずることがあるらしい。それに対して、桐沢氏も最初は一笑に付していたが、近頃では「どうも不思議だ。」などと首をかしげている事もあるという。したがって、桐沢氏がKの町出身の深見氏のところへ多代子を媒妁することになったのは、故意か偶然か判らない。次郎君は
「親父は何かの罪亡ぼしのつもりかも知れない。」と笑っているそうであるが、さてその深見氏が、かの森戸家の後裔《こうえい》であるかどうか、そんなことは勿論わからない。
以上の物語が終ったころに、先生
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