ている幾匹の唐獅子の眼を光らせている。脚絆《きゃはん》を穿《は》いた老婆さんが正面の階段の下に腰をかけて、藍のように晴れ渡った空を仰いでいる。玩具の刀をさげた小児《こども》がお百度石に倚《よ》りかかっている。大きい桜の木の肌がつやつやと光っている。丘の下には桂川の水の音がきこえる。わたしは桜の咲く四月の頃にここへ来たいと思った。
 避寒の客が相当にあるとはいっても、正月ももう末に近いこの頃は修善寺の町も静で、宿の二階に坐っていると、きこえるものは桂川の水の音と修禅寺の鐘の声ばかりである。修禅寺の鐘は一日に四、五回|撞《つ》く。時刻をしらせるのではない、寺の勤行《ごんぎょう》の知《しら》せらしい。ほかの時はわたしも一々記憶していないが、夕方の五時だけは確かにおぼえている。それは修禅寺で五時の鐘をつき出すのを合図のように、町の電灯が一度に明るくなるからである。
 春の日もこの頃はまだ短い。四時をすこし過ぎると、山につつまれた町の上にはもう夕闇が降りて来て、桂川の水にも鼠色の靄《もや》がながれて薄暗くなる。河原に遊んでいる家鴨《あひる》の群の白い羽もおぼろになる。川沿いの旅館の二階の欄干にほしてある紅《あか》い夜具がだんだんに取込まれる。この時に、修禅寺の鐘の声が水にひびいて高くきこえると、旅館にも郵便局にも銀行にも商店にも、一度に電灯の花が明るく咲いて、町は俄《にわか》に夜のけしきを作って来る。旅館は一《ひ》としきり忙しくなる。大仁から客を運び込んでくる自働車や馬車や人力車の音がつづいて聞える。それが済むとまたひっそりと鎮まって、夜の町は水の音に占領されてしまう。二階の障子をあけて見渡すと、近い山々はみな一面の黒いかげになって、町の上には家々の湯の烟が白く迷っているばかりである。
 修禅寺では夜の九時頃にも鐘を撞く。それに注意するのはおそらく一山の僧たちだけで、町の人々の上にはなんの交渉もないらしい。しかし湯治客のうちにも、町の人のうちにも、色々の思いをかかえてこの鐘の声を聴いているのもあろう。現にわたしが今泊っているこの室だけでも、新築以来、何百人あるいは何千人の客がとまって、わたしが今坐っているこの火鉢のまえで、色々の人が色々の思いでこの鐘を聴いたであろう。わたしが今無心に掻きまわしている古い灰の上にも、遣瀬《やるせ》ない女の悲しい涙のあとが残っているかも知れない。
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