父もまた本望じゃ。
かえで ええ。
夜叉王 幾たび打ち直してもこの面に、死相のありありと見えたるは、われ拙きにあらず。鈍きにあらず。源氏の将軍頼家卿がかく相成るべき御運とは、今という今、はじめて覚った。神ならでは知ろしめされぬ人の運命、まずわが作にあらわれしは、自然の感応、自然の妙、技芸|神《しん》に入るとはこのことよ。伊豆の夜叉王、われながらあっぱれ天下一じゃのう。(快げに笑う)
かつら (おなじく笑う)わたしもあっぱれお局様じゃ。死んでも思いおくことない。ちっとも早う上様のおあとを慕うて、冥土《めいど》のおん供……。
夜叉王 やれ、娘。わかき女子が断末魔の面、後の手本に写しておきたい。苦痛を堪《こら》えてしばらく待て。春彦、筆と紙を……。
春彦 はっ。
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(春彦は細工場に走り入りて、筆と紙などを持ち来たる。夜叉王は筆を執る。)
[#ここで字下げ終わり]
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夜叉王 娘、顔をみせい。
かつら あい。
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(桂は春彦夫婦に扶けられて這いよる。夜叉王は筆を執りて、その顔を模写せんとす。僧は口のうちにて念仏
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