にしなければならない。口碑によれば、むかし豊島郡石浜にあった普門院という寺が亀戸村に換地をたまわって移転する時、寺の什物《じゅうもつ》いっさいを船にのせて運ぶ途中、あやまって半鐘を淵の底に沈めたので、そのところを鐘ヶ淵と呼ぶというのである。「江戸|砂子《すなご》」には橋場の無源寺の鐘楼がくずれ落ちて、その釣鐘が淵に沈んだのであるともいっている。半鐘か釣鐘か、いずれにしても或る時代に或る寺の鐘がここに沈んで、淵の名をなしたということになっている。将軍吉宗はきょう初めてその伝説を聞いたのか、あるいはかねて聞いていたので、きょうはその探険を実行しようと思い立ったのか。幸いに今日は空も晴れている、そよとの風もない。まことに穏やかな日和《ひより》であるから、水練の者を淵の底にくぐらせて、果して世にいうがごとく鐘が沈んでいるかどうかを詮議させろという命令を下したのであった。
 大勢のなかから選み出されたのは三人の名誉であるといってよい。しかし普通の水練とは違って、この命令には三人もすこしく躊躇した。かの鐘はむかしから引揚げを企てた者もあったが、それがいつも成功しないのは水神が惜しませたまう故である
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