の手柄をそねむように思われるのも残念であると、大原は考えた。かれは当座の思案に迷って、しばらく躊躇していると、三上は催促するようにまた言った。
「どう考えても、このままに打っちゃっては置かれまい。これから二人で組頭のところへ行って話そうではないか。」
「むむ。」と、大原はまだ生《なま》返事をしていた。
沈んでいる鐘を福井が確かに見届けたと将軍の前で一旦申立ててしまった以上、今となってはもう取返しの付かないことで、実をいえば五十歩百歩である。いよいよその鐘を引揚げにとりかかってから、かれの報告のいつわりであったことが発覚するよりも、今のうちに早くそれを取消した方が幾分か罪は軽いようにも思われるが、それでかれの失策がいっさい帳消しになるという訳には行かない。どの道、かれはその罪をひき受けて相当の制裁をうけなければならない。まかり間違えば、やはり腹切り仕事である。こう煎じつめてくると、福井の制裁と組じゅうの不面目とはしょせん逃がれ難い羽目に陥っているので、今さら騒ぎ立てたところでどうにもならないようにも思われた。
大原はその意見を述べて、三上の再考を求めたが、彼はどうしても肯《き》かなかった。
「たとい五十歩百歩でも、それを知りつつ黙っているのはいよいよ上《かみ》をあざむくことになる。貴公が不同意というならば、拙者ひとりで申立てる。」
そう言われると、大原ももう躊躇してはいられなくなった。結局ふたりは組頭を小蔭に呼んで、三上の口からそれを言い出すと、組頭の顔色はにわかに曇った。勿論、かれも早速にその真偽を判断することは出来なかったが、万一それが福井の失策であった場合にはどうするかという心配が、かれの胸を重くおしつけたのである。
「では、福井を呼んでよく詮議してみよう。」
彼としては差しあたりそのほかに方法もないので、すぐに福井をそこへ呼び付けて、貴公は確かにその鐘というのを見届けたのかと重ねて詮議することになった。福井はたしかに見届けましたと答えた。
「万一の見損じがあると、貴公ばかりでなく、組じゅう一統の難儀にもなる。貴公たしかに相違ないな。」と、組頭は繰返して念を押した。
「相違ござりませぬ。」
「深い淵の底にはいろいろのものが棲んでいる。よもや大きい魚や亀などを見あやまったのではあるまいな。」
「いえ、相違ござりませぬ。」
いくたび念を押しても、福井の返答は変らなかった。彼はあくまでも相違ござらぬを押し通しているのである。こうなると、組頭もその上には何とも詮議の仕様もないので、少しくあとの方に引退《ひきさが》っている三上と大原とを呼び近づけた。
「福井はどうしても見届けたというのだ、貴公等はたしかに見なかったのだな。」
「なんにも見ません。」と、三上ははっきりと答えた。
「わたくしは大きい魚に出逢いました。大きい藻にからまれました。しかし鐘らしいものは眼に入りませんでした。」と、大原も正直に答えた。
それはかれらが将軍の前で申立てたと同じことであった。三人が三人、最初の申口をちっとも変えようとはしない。又それを変えないのが当然でもあるので、組頭はいよいよその判断に迷った。ただ幾分の疑念は、年上の三上と大原とが揃いも揃って見なかったというものを、最も年のわかい福井ひとりが見届けたと主張することであるが、唯それだけのことで福井の申立てを一途《いちず》に否認するわけには行かないので、この上は自然の成行きに任せるよりほかはないと組頭も決心したらしく、詮議は結局うやむやに終った。
組頭が立去ったあとで、三上は福井に言った。
「組頭の前でそんなに強情を張って、貴公たしかに見たのか。」
「公方家《くぼうけ》の前で一旦見たと申立てたものを、誰の前でも変改《へんかい》が出来るものか。」と、福井は言った。
「一旦はそう申立てても、あとで何かの疑いが起ったようならば、今のうちに正直に言い直した方がいい。なまじいに強情を張り通すと、かえって貴公のためになるまいぞ。」と、三上は注意するように言った。
それが年長者の親切であるのか、あるいは福井に対する一種のそねみから出ているのか、それは大原にもよく判らなかったが、相手の福井はそれを後者と認めたらしく、やや尖ったような声で答えた。
「いや、見たものは見たというよりほかはない。」
「そうか。」と、三上は考えていた。
そんなことに時を移しているうちに、浅草寺《せんそうじ》のゆう七つの鐘が水にひびいて、将軍お立ちの時刻となったので、近習頭から供揃えを触れ出された。三上も大原も福井も、他の人々と一緒にお供をして帰った。
きょうの役目をすませて、大原が下谷《したや》御徒町《おかちまち》の組屋敷へ帰った時には、このごろの長い日ももう暮れ切っていた。風呂へはいって汗をながして、まずひと息つくと、左の
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