の絵すがたを頼りに、三代目河竹新七が講釈種によって劇に書きおろしたのであった。今度もわたしは尾上松助老人について何か心あたりは無いかと訊いてみたが、老人もやはりかの歌舞伎座当時の話をして、自分も多年小坂部の名を聴いているだけで、その狂言については何にも知らないと云っていた。
 小坂部の正体が妖狐で、十二ひとえを着て姫路の古城の天主閣に棲んでいて、それを宮本|無三四《むさし》が退治するというのが、最も世間に知られている伝説らしく、わたしは子供のときに寄席の写し絵などで幾度も見せられたものである。こんなことを書いていながらも、一種今昔の感に堪えないような気がする。
 そういうわけで、芝居の方では有名でありながら、その狂言が伝わっていない。そこを付け目にして、わたしは新しく三幕物に書いて見たのであるが、何分にも材料が正確でないので、まずいろいろの伝説を取りあわせて、自分の勝手に脚色したのである。
 松緑のも菊五郎のも、小坂部の正体を狐にしているのであるが、狐と決めてしまうのはどうも面白くないと思ったので、わたしは正体を説明せず、単に一種の妖麗幽怪な魔女ということにして置いた。したがって、あれは一体何者だと云うような疑問が起こるかも知れないが、それは私にも返答は出来ない。くどくも云う通り、昔は播州姫路の城内にああいう一種の魔女が棲んでいて、ああいう奇怪な事件が発生したのだと思って貰いたい。又、その以上には御穿索の必要もあるまいと思っている。
 今度の上演について、おそらく此の小坂部の身許しらべが始まるだろうと思われるから、ちょっと申し上げておく。[#地から2字上げ](大正一四・二・演芸画報)

[#地付き](昭和三十一年二月、青蛙房刊『綺堂劇談』所収「甲字楼夜話」より)



底本:「伝奇ノ匣2 岡本綺堂妖術伝奇集」学研M文庫、学習研究社
   2002(平成14)年3月29日初版発行
底本の親本:「綺堂劇談 甲字楼夜話」青蛙房
   1956(昭和31)年2月
初出:「演芸画報」
   1925(大正14)年2月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2008年9月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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